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ふるさと再発見 広川町郷土史研究会

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福岡県広川町

■学校と教育制度の変遷 その11
~戦後処理と新教育制度の始まり~

○「御真影(ごしんえい)」の奉護(ほうご)と奉焼(ほうしょう)
都市部では空襲が頻繁熾烈(ひんぱんしれつ)となり、戦況に逼迫(ひっぱく)度が増大する中に昭和20年7月30日、福岡県八女地方事務所兵事課は、「御真影」奉護のため、大淵村(おおぶちむら)(現八女市黒木町大字大淵)の五條家(ごじょうけ)宝物庫に奉遷(ほうせん)することを、郡下の国民学校が決定したことを受け、他の公私立中等学校長に宛て通知し、その意向を尋ねています。
国民学校からの移遷は、8月2日に一斉に行われます。「戦闘帽(せんとうぼう)とゲートルのいでたちの校長が、御真影を納めた大型のリュックを背負い、悲壮(ひそう)な面持(おもも)ちで自転車で出かけるのを、悲壮万感(ひそうばんかん)胸に迫(せま)るの思いで見送った」(『黒木町史』)。どこの学校でも似た情景(じょうけい)ではなかったでしょうか。
我が国が無条件降伏を受諾(じゅだく)して終戦となるのは、それからわずか13日後のことです。

○教育関係でも始まる戦後処理
翌21年2月5日付の福岡県教育民生部長通達(つうだつ)を最初として、次々と通達が出されます。
2月5日、修身(しゅうしん)・国史(こくし)・地理科(ちりか)授業停止ニ関スル件。
2月8日、御真影奉焼ニ関スル件。
※八女郡では同15日五條家において関係者により、警察官立会の上で奉焼。この時に、教育勅語謄本も一緒に奉焼(『黒木町史』)。
2月17日、各学校にある御真影奉安殿からの、「神道的象徴(しんとうてきしょうちょう)」除去ニ関スル件。
5月25日、御真影奉安殿改造方ニ関シ催促。
この間のできごとに3月5日、我が国の教育改革を目的とした米国教育使節団が来日しています。同使節団は同4月7日には、調査に係る報告書を発表します。
同11月3日には従前の「大日本帝国憲法」に代り、「日本国憲法」が公布されます。
翌22年3月31日には、「教育基本法」「学校教育法」が公布されたことで、学制(がくせい)が小学校6カ年・中学校3カ年と変わり、義務教育9カ年となりました。
その翌日4月1日付で、従前の国民学校はそれぞれ村名を冠した小学校と改称し、同時に上中下3村立広川中学校(所在地、大字新代字深町)が設立(本館)され、各小学校に分教場が併設されました。
同校は翌23年3月31日で廃止され、4月1日からはそれぞれ村名を冠した中学校が誕生しています。

○PTA結成への動き
同5月22日付で県教育部長が、各市町村長はじめ関係者に宛てて、「父母教師会結成に関すること」を通達しています。
これを受けて県下各地で、PTA結成への気運が高まったのは当然です。
下広川小学校では、同7月17日に結成されました。

○広川町古墳資料館だより
築造された時代の石人山古墳は、多くの埴輪(はにわ)が墳丘上に立てられた、地域の有力者の壮麗(そうれい)な墓域(ぼいき)でしたが、現在は土が高くつもり、樹木に覆われて山のようになっています。
現在までに、墳丘から円筒埴輪や人物・動物・家などを模した形象埴輪が採集されています。これらの埴輪は、市町村や大学などに保管されているものもあり、これから詳しく調査研究していく必要があるでしょう。

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