■志免東中出身 西村康生(にしむらこうせい)
「何かを得たいなら何かを犠牲にしないと。」
これは私が印象に残っている父の言葉の一つです。父は元ラグビー選手で、幼少期のころから、挨拶や礼儀など厳しく育ててもらいました。父は自分自身に対してもストイックで、そんな父に私は無意識に憧れていたように思います。
中学校では、私はサッカー部に入り、3年生のときにキャプテンをしました。「勝つためなら、チームの皆に嫌われたっていい」という気持ちで務めました。中学生ながらに「厳しいほうに自分を追いやって成長したい」という気持ちが強くありました。そういうマインドは父の影響が大きかったように思います。今思えば、楽しくサッカーをしたいメンバーもいたはずなので、厳しいことが常に正義とは限らなかったな、と少し反省しています。
高校の進路選びは、サッカーの強い東福岡高校の特進コースを選びました。サッカーも勉強も人一倍頑張って成長したかったからです。
高校生活は、とにかく毎日が必死でした。日中は学業に勤しみ、放課後はトップレベルの練習をやる、帰ると次の日の予習や宿題をやる、という生活で、精神的にも肉体的にもしんどい日々でした。サッカーを辞めたいと思う日も正直ありました。でも、家族のサポートやチームメイトのおかげもあって、3年間やりきることができました。
部活引退後は、焦点を当てていた推薦入試に落ちたり、試験直前に盲腸になったりと大波乱でしたが、担任の先生のおかげもあり、第一志望校に合格することができました。
現在の私は大学2年生で、朝の4時過ぎに起床して、ジムに行き、そして学校に行くという生活です。今後も体が資本だと思うので、生活リズムを崩さないことを意識して、この生活は継続させたいです。
将来は、公務員かサッカー関係の仕事に就きたいです。そして、父のようにストイックで、常にチャレンジし続けるかっこいい大人になりたいです。
〇家族へメッセージ
これまで厳しく育ててくれてありがとう。今までの厳しさは愛情の裏返しだったのだと思うことが増えてきました。いまだに、愛情が故に、めちゃくちゃ怒られることもありますが、私のことを思ってくれているというのは伝わってきます。今日まで本当にありがとうございました。親孝行ができるような大人になります。
まだまだ迷惑をかけると思うけど、今後ともよろしくお願いします。
■志免中出身 坂下玄(さかしたげん)
私が幼少期に最も記憶に残っているのは、姉と二人で行った旅行です。新幹線で親せきの家に向かっている途中、私が車内でオレンジジュースをこぼしてしまい、姉も私もどうしようとパニックになっていると、そこに現れた車掌さんが優しく対応してくれ、まるで私にはヒーローのように見えました。その姿が忘れられず、将来、新幹線車掌になりたいと思いました。
小学3年生には「志免リトルタイガース」という野球チームに入り、野球を始めました。中学校でも野球部に入りました。野球部の練習はすごく厳しくて、毎日へとへとになって帰っていました。それでも学生生活を毎日楽しく過ごせたのは、個性豊かな野球部のみんなのおかげです。
中学3年生の春先には、試合前に思わぬアクシデントに見舞われました。
試合前のブルペンで投球練習をしている最中、突然肘に痛みが走り、投げられなくなったのです。監督にそのことを報告したところ、なぜかブルペンキャッチャーを務めていたI君が私以上に叱られてしまいました。監督は「Iが気づいてやれよ!」とおっしゃっていましたが、完全にとばっちりだったと思います。この出来事は今では笑い話となっていますが、当時の私にとっては忘れられない思い出の一つです。
高校は、早く就職して夢を叶えたいと思い、行きたい企業から求人が来ている宇美商業高校を選びました。勉強していくうちに、鉄道について専門的に学びたい気持ちが強くなり、今通っている西鉄国際ビジネスカレッジ専門学校に進学を決めました。
現在は、志望していた企業から内定をいただき、学校に在籍しながら、駅員として勤務しています。
覚える業務は多岐にわたるので、ペンとメモが手放せない状況ですが、入社後は一日でも早く一人前の新幹線車掌になれるよう、努力を重ねていきます。
〇家族へメッセージ
家族がいるからこそ、頑張れた時もありました。私のやりたいことは、どんな時も応援していただきました。部屋で一人で過ごす時間はほとんどなく、いつもリビングで家族みんなで笑いながら過ごしていたように思います。今の私があるのは、何よりも家族の支えと、あたたかい環境で育てていただいたおかげです。春に実家を出るのは本当に寂しいですが、将来は必ず家族を世界のどこかの国に旅行で連れて行きたいと考えております。これからも陰ながら応援していただけると嬉しいです。今日まで本当にありがとう。
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