市内の歴史遺産のロマンを追いかける新シリーズ
八.三奈木黒田一成(かずなり)
黒田一成は、元亀2年(1571年)、加藤重徳(しげのり)の二男として兵庫県伊丹村に生まれました。9歳のときに父・重徳と黒田孝高(よしたか)(官兵衛)の約束により、孝高の養子となりました。天正12年(1584年)、一成が14歳のとき、和泉国岸和田(大阪府)の根来・雑賀の一揆で勇戦し、この初陣以後、秀吉の九州攻めや黒田長政の豊前平定などで武勲を重ねました。
黒田氏の筑前入国後は、三奈木を中心とした下座郡に1万2千石の所領を与えられ、以後、三奈木黒田家と呼ばれるようになります。三奈木黒田家は、初代の一成から福岡藩の筆頭家老として幕末までの約260年間存続しました。
武勇に優れ、黒田八虎にも数えられた一成ですが、三奈木の小高い山に清岩寺を建て、禅宗の教えを広めています。また、秀吉の九州攻めのときに破壊された美奈宜神社を再興しました。記念に植えた銀杏は、現在、大樹となって三奈木のシンボルになっています。
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