市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
十五.秋月藩を独立藩に……
秋月藩は、福岡藩の支藩として成立しました。支藩は本藩の影響を強く受けるため、長興(ながおき)の側用人で家老となった堀平右衛門(ほりへいえもん)は秋月藩を独立した一つの藩にしたいと考えました。それには、徳川将軍から朱印状を拝領する必要があるため、
参府(さんぷ)(江戸に行き将軍に拝謁すること)を計画します。秋月藩を支藩として支配下におきたい福岡藩の忠之は長興の参府を止めさせようとします。筆頭家老の栗山利安に説得をさせたり、参府を取りやめれば十万石に加増すると懐柔したりしました。
しかし、長興の決意は固く、寛永2年(1625)家老の堀平右衛門をはじめ13人で秋月を出立し、夜陰に乗じて街道を進み芦屋の港から江戸へ向かいました。長興は、9年間江戸に居住し幕府への奉公に励みました。寛永3年(1626)従五位下甲斐守(じゅごいげかいのかみ)に叙され、寛永11年(1634)将軍家光より5万石の朱印状を渡されました。
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