市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
十六.風は島原へ…
寛永13年(1637)、江戸幕府を揺るがす出来事が起こります。島原藩の領主松倉重政や肥後天草諸島の領主寺沢堅高(かたたか)の領民が、過重な年貢負担やキリシタンの迫害、領民の酷使さらに飢饉(ききん)被害による食糧不足などを理由として一揆を起こしました。この一揆は、領民の多くがキリスト教信者であったことから、キリシタン一揆としての一面も持っていました。一揆軍は若干16歳の天草四郎時貞(益田時貞)を総大将とし、島原領・天草領の拠点を襲います。
しかし、城の奪取ができないまま、九州の諸大名を中心とした幕府の鎮圧軍が近づいていることを知った一揆軍は、南島原の原城で合流し籠城することとしました。原城は有馬氏の居城でしたが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となっていました。城を補修し立てこもった一揆軍の総数は37000人ともいわれています。
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