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あさくら歴史散歩

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福岡県朝倉市

市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ

十七.秋月の地より立つ
寛永14年(1637)12月、幕府は一揆鎮圧のため、板倉重昌を総大将とする軍を発します。原城に立てこもる一揆軍は士気が高く、浪人たちが指揮をとっていたため守りも固く、度重なる攻城は失敗に終わります。また、翌年元日には板倉重昌が戦死します。事態を重く見た徳川家光は、知恵伊豆と呼ばれた松平信綱を新たに総大将に任じ、九州の諸大名に動員をかけました。秋月藩も幕命を受け、1月に島原へ出陣。この際に、城の軒丸瓦(のきまるがわら)が落ち、兜(かぶと)にあたったので家臣は不吉であると出立を延期することを進言しますが、長興(ながおき)は気にすることなく秋月城を出立したと言われています。
1月末、幕府軍12万余が島原に集結。軍議が開かれた際、松平信綱は各地の諸大名が集まる中、黒田一成(かずしげ)(三奈木黒田家当主)を呼び意見を求めました。一成は、兵糧攻めを進言し、取り入れられています。兵糧攻めの結果、一揆軍に余力がないと見抜いた幕府軍は、2月末日に総攻撃をかけることを決定します。

問合せ:市文化・生涯学習課
【電話】28-7341

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