市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
■二十四.幕臣としての秋月藩
江戸時代、徳川幕府は「武家諸法度」に代表されるように諸藩に厳しい取り決めを定めました。その内容は、大名の治世や生活を統制し、幕府の権威を保ち高めるためのもので、幕府が主導する造作を、諸藩に負担させる「御手伝普請(ふしん)」や領地と江戸を往来する「参勤交代」などがありました。取決めに反すると処罰され、減封・国替などが言い渡されたり、ひどい場合は領地を召し上げられるお取りつぶしの処分もあったりしました。
そのような事態を避けるため、秋月藩は、幕府への忠勤に励みます。大坂城普請・江戸城本丸石垣普請等を行ったり、勅使(ちょくし)饗応(きょうおう)役や朝鮮通信使の饗応役を務めたりしました。一方でこれらの費用は秋月藩の財政に大きな負担となりました。
※1普請:建築や土木作業
※2饗応:食事などをふるまい接待すること
問合せ:市文化・生涯学習課
【電話】28-7341
<この記事についてアンケートにご協力ください。>