市内の歴史遺産のロマンを追いかけるシリーズ
二十七.秋月の乱前夜2
維新が成り、日本の内乱は治まったように見えましたが、明治新政府の方針は維新を戦った人々にとって満足できるものではありませんでした。実際は、志士達が掲げた「尊王・攘夷」ではなく「尊王・開国」に方針を変えたように見えたからです。また、征韓論が破れ、諸外国に対する外交姿勢が弱腰だと見なされたことなどから、政府の対応について不満が国内を覆います。
そのような雰囲気の中、西郷隆盛や江藤新平らは政府から離れ国元に帰りました。士族は諸外国に対する武力であると自認する一方で、徴兵令により採用された農民を中心とする軍隊が弱兵と見えたことや、政府の諸外国に対する態度などから、国防に対する不安と不満が生じていきました。藩主が上京し、領地を奪われ守るべきものを失った旧秋月藩士達の中に政府に対する不信感が高まり、政府に対する反感を持つ士族と連携する動きも起こります。佐賀に送った使者が、江藤軍有利と伝えたことから、秋月の中で反乱蜂起の機運が急速に高まっていきました。
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