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歴まちコラム ~歴史と文化のふる里探訪~

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福岡県添田町

■中元寺に残る伝承
「カッパの詫(わ)び証文(しょうもん)」
下中元寺地区にある瀬成神社の参道前を流れる中元寺川。そこには〝カッパが住んでいる〞という言い伝えがあるのはご存じですか。

川の中や陸の上を自由に動き回り、体の全身が緑色で手足には水かきがあり、亀の甲羅のようなものを背負い、頭の上にお皿をのせている想像上の生き物と言われると何を思い浮かべますか。多くの人は「カッパ」を想像するのではないでしょうか。町内では「カワントン」や「カワントノ」と呼ばれていたようですが、今回の歴まちコラムでは中元寺に残る「カッパ」にまつわる伝承を紹介します。
昔、中元寺には葦(あし)がしげる湿地が多くあったようです。ある日の夕方、子どものような姿をした者が川に近い家を一軒一軒たずねて、「今夜、大雨が降って山がくずれるから逃げておくれ」と告げて回りました。人びとは不思議に思いながらも、その子どもの言うとおり逃げました。やがて夜になると、大雨で川の水はあふれ出し、山がくずれましたが、人びとは逃げていたため無事でした。人びとは「あの子どもは瀬成神社の神様に仕えるカッパにちがいない。よくぞ知らせてくれた」と感謝し、カッパをかわいがるようになったのです。人びとに大事にされるようになったカッパは次第に調子にのるようになり、田んぼや畑をあらしたり、子どもを川に引き込んだり、いたずらがひどくなりました。困った人びとを見た瀬成神社の神様はカッパに「悪さをするなら中元寺から出て行け」としかりつけたのです。カッパは反省し、心を入れ替える証(あかし)として石にお詫(わ)びの文章を書き、瀬成神社の神様へ差し出しました。これ以降、人々が被害にあうことはなくなったとのことです。
現在、下中元寺公民館の敷地には、カッパの石像が安置され、「河童大明神」として祀られています。また、石像の隣には「瀬成ノ河童ノ詫証文」と刻まれた石碑もあり、地域に残るカッパの伝承を後世へ語り伝えています。カッパの伝承は中元寺のほかに津野や野田、庄にも伝わっており、『添田町誌』で紹介されています。ご興味のある方はご覧ください。
文・西山紘二学芸員(商工観光振興課歴史文化財係)

参考文献:
添田町『知ってる?添田町の歴史』平成29年
添田町『添田町誌 下巻』平成4年

問合せ:役場商工観光振興課歴史文化財係
【電話】82-1236

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