■東蓮寺藩(のち直方藩)の歴史
第4回 黒田官兵衛・長政父子
東蓮寺藩初代藩主黒田高政公の祖父孝よし高たか公と父長政公は戦国時代末期から江戸時代初期にかけての著名な軍師・大名として歴史小説やNHK大河ドラマにたびたび登場します。
○福岡藩藩祖・黒田孝高の生涯
孝高公(1546〜1604)は通称の「官兵衛」や剃髪後の号である「如水」として知られています。
父職隆(もとたか)の跡を継ぎ、播磨(はりま)国の小寺(こでら)家の家老として姫路城主になりました。織田信長の中国侵攻が始まると領主を説いて織田側につきました。
織田家の重臣荒木村重が謀反を起こすと摂津国の有岡城での説得に失敗して幽閉され救出されましたが足が不自由になったとされます。
のち羽柴秀吉の軍師として因幡国の鳥取城攻めや備中高松城水攻め、本能寺の変後の中国大返しを成功させ、その後も活躍しました。
九州平定の戦功により豊前国中津十二万石の領主になりました。
長政公に譲って隠居の後も小田原平定や朝鮮出兵にも参加しました。
関ケ原合戦の際は兵を募って九州各地の西軍の留守部隊を破りました。
その後は隠居生活を送り京都の藩邸で逝去しました。
孝高公の劇的な生涯は司馬遼太郎の「播磨灘物語」(講談社文庫で入手可能)はじめ数多くの歴史小説の主人公となり、NHK大河ドラマでも2014年に岡田准一主演で「軍師官兵衛」として一年間放映され直方市でも官兵衛プロジェクトとして各種の行事が企画されました。
○初代福岡藩主・黒田長政の生涯
長政公(1568〜1623)は孝高公の嫡男として姫路城に生まれました。
幼名松寿丸時代に織田信長に人質として出され、父の有岡城幽閉事件で危うく処刑されるところ、父の同僚の竹中半兵衛に助けられました。
その後は羽柴秀吉に仕え、備中高松城攻め、賤ケ岳の戦い、九州平定などで戦功をあげ、父の隠居で豊前国中津領主になりました。
朝鮮出兵では渡海し活躍しました。秀吉の死去後は石田三成らの文治派と対立し関ケ原合戦では石田勢を撃破し、小早川秀秋らの調略にも成功しました。
筑前一国五十二万石の大大名となり地名を福岡と改めました。
大坂夏の陣にも参戦しましたが、京都で逝去しました。
遺言で長男忠之に福岡本藩を継がせ、三男長ながおき興に秋月藩五万石、四男高政に東蓮寺藩四万石を支藩として分立させました。
文 榊正澄
文化財に関する問合せ:文化・スポーツ推進課社会教育係
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