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直方の歴史と文化(第117回)

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福岡県直方市

■直方の炭鉱の歴史
第10回 筑豊石炭鉱業組合が撮影寄贈した明治大正の炭鉱写真

▽炭鉱写真の撮影と寄贈
筑豊石炭鉱業組合は明治時代から大正時代にかけて同組合に所属する炭鉱および関連施設の写真(以下、炭鉱写真と総称する)を撮影し、組合の月報に掲載するほか各種の書籍に掲載しました。
これらの炭鉱写真は、後に組合が経営する筑豊鉱山学校に教材として寄贈され、同校において活用保管されました。現在のように誰でも簡単に写真撮影ができなかった時代に組合が多額の費用を投じて写真館に委託し撮影した大きなサイズのもので、詳細に観察が可能なため、多数の研究書・研究論文や筑豊地区の自治体が発行した市史・町史にも多数掲載されています。
被写体のすべてが消滅してしまった現在においては、当時の石炭産業の全体像を理解するための貴重な記録写真です。

▽炭鉱写真の保存管理
これらの炭鉱写真は他の文化財と同様に平成17年(2005年)の福岡県立筑豊工業高校の閉校に伴い散逸を防ぐため九州歴史資料館(小郡市)に移管されました。また九州大学附属図書館付設記録資料館産業経済資料部門も複製写真一式を保有しています。
前号で紹介した教材写真と異なり福岡県立筑豊高校の特別資料室にはパネル化された大型の炭鉱写真が保管されており、毎月第一・第三日曜日の午後1時から4時に公開されています。

▽炭鉱写真の枚数と分類
炭鉱写真の中には重複や欠番があり、純枚数は123枚です。
内訳は次の通り。
・炭鉱の設備 95枚
・石炭の輸送手段 14枚
・炭鉱に関する諸施設 8枚
・その他施設 5枚
・人物写真 1枚

▽九大エネルギー史研究に掲載
この炭鉱写真の詳細な全体像については、「エネルギー史研究」(九州大学記録資料館が現在も毎年編集発行)の2013年第28号に旧筑豊工業(鉱山)高校所蔵文化財を伝える会副会長(福岡県立筑豊工業高校最後の学校長)の青木啄美氏が執筆し掲載されていますのでインターネットで検索してみてください。

▽写真説明・三菱新入炭鉱第一坑
三菱新入炭鉱第一坑は現在のJR九州の新入駅から直方駅寄りの新正橋西側の上新入にありました。
明治22年(1889年)に三菱合資会社が買収し、三井・住友など中央大手資本のトップを切って筑豊に進出した歴史上重要な炭鉱でしたが、三菱鉱業は昭和2年(1927年)に撤退しました。
直方地区には第五坑までありましたが写真に見える竪坑を有するのは第一坑だけで、三菱方城・三井田川の竪坑に先行する大型設備でした。

文 榊 正澄

文化財に関する問合せ:文化・スポーツ推進課社会教育係
【電話】25-2326

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