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直方の歴史と文化(第119回)

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福岡県直方市

■直方の炭鉱の歴史
第11回 筑豊石炭鉱業組合の歴代総長

◇筑豊石炭鉱業組合の代表者
筑豊石炭鉱業組合の代表者である八人の歴代総長は初代から第四代までが地方官吏出身者と炭鉱技術者、第五代から第八代までが地場大手炭鉱の経営者、と中途から出身母体が大きく変化しています。
最初の四名の経歴を紹介します。

◇初代 石野寛平(いしのかんぺい)
・明治18年(1885年)~明治22年(1889年)在任
・嘉永元年(1848年)生~大正10年(1921年)没
旧平戸藩士族で長崎県・佐賀県・福岡県の官吏を歴任。福岡県巡査隊を指揮して秋月の乱・西南の役に従軍し戦果を挙げた。のち福岡県庁勧業課の職員として鉱業を担当し、炭鉱主たちの懇請により辞職して筑豊石炭鉱業組合の初代総長に就任した。
総長辞任後に若松築港会社(現在の若築建設株式会社の前身)の初代社長に就任し、石炭積出港の若松港と洞海湾の整備に尽力した。

◇第二代 龍崎中和(りゅうざきなかかず)
・明治24年(1891年)~明治26年(1893年)在任
・生没年不明
明治24年の筑豊興業鉄道若松~直方間の開通に伴い石炭輸送が従来の川舟水運一本から鉄道陸運との競合時代になって、鉄道敷設を推進してきた筑豊石炭鉱業組合と川舟業者の組合との関係が極度の緊張状態に入った。
これを緩和して石炭輸送を円滑に進めるために元飯塚警察署長の龍崎中和が第二代総長に就任した。

◇第三代 稲徹垣之進(いながきてつのしん)
・明治26年(1893年)~明治27年(1894年)在任
・嘉永5年(1852年)生、没年不明
三重県志摩国鳥羽の出身
札幌の開拓使学校で米人教師ライマンの教えを受け全国鉱物調査に従事。のち工部省で筑豊各地の炭層を調査。官を辞し筑豊の炭鉱技師から第三代総長に就任した。

◇第四代 安達仁造(あだちじんぞう)
・明治27年(1894年)~明治36年(1903年)在任
・嘉永6年(1853年)生、没年不明
出雲国松江藩の支藩の出身
米国人ライマンに従って全国鉱物資源調査に従事。自費で米国留学後に筑豊の炭鉱技師を経て第四代総長に就任した。第五代以下は簡単に紹介します。

◇第五代 安川敬一郎(やすかわけいいちろう)(明治鉱業)
・明治36年(1903年)~明治44年(1911年)在任

◇第六代 麻生太吉(あそうたきち)(麻生鉱業)
・明治44年(1911年)~大正8年(1919年)在任

◇第七代 松本健次郎(まつもとけんじろう)(明治鉱業)
・大正8年(1919年)~昭和8年(1933年)在任

◇第八代 貝島太市(かいじまたいち)(貝島炭礦)
・昭和8年(1933年)~昭和10年(1935年)在任

※「龍崎」の「崎」は環境依存文字のため置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。

文 榊 正澄

文化財に関する問合せ:文化・スポーツ推進課社会教育係
【電話】25-2326

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