大濠公園や舞鶴公園、そして荒津山と呼ばれた西公園がある一帯は、鴻臚館(こうろかん)が置かれたり、福岡城が築かれたりした場所で、歴史上、重要な役割を担っていました。この地域で受け継がれている行事を紹介します。
「福岡城・鴻臚館まつり」は、地域の歴史や文化への理解を深めてもらおうと地域住民らによって継承されてきた伝統行事で、今年45回目を迎えます。
●地域が誇る歴史
7世紀後半、現在の舞鶴公園内に鴻臚館が置かれていました。鴻臚館は唐(中国)などの外交使節や商人をもてなす迎賓館として、また日本の外交使節である遣唐使などの宿泊所として使用された場所です。使節らは、荒津の崎(現在の西公園)から唐や新羅(しらぎ)へ出航したといわれています。
17世紀になると、関ケ原の合戦で功績を挙げた黒田長政が、徳川家康から筑前国(福岡県北西部)を与えられ、父・官兵衛(如水)と共に、福岡城を築城しました。
福岡城・鴻臚館まつりを運営する、おおほりまつり実行委員会の末永委員長に話を聞きました。
●地域で受け継がれてきた伝統行事
西公園は、昔から「荒津山」として親しまれてきました。西公園の西側展望広場には、万葉歌碑があります。昭和44年、歌碑の除幕式が行われた際に「荒津の舞」が披露され、現在の福岡城・鴻臚館まつりへと発展しました。
この祭りの見どころは「荒津の舞」と「黒田二十五騎武者行列」です。
●荒津の舞
荒津の舞は、遣唐使の送別と無事の帰還を祈る舞です。当時を表現した衣装をまとい、鴻臚館で行われた宴の様子を筑前琵琶の演奏とともに再現しています。昭和44年の初演以来、受け継がれてきました。おまつり舞台(鴻臚館広場)では地域の人も加わり、舞を披露します。
●黒田二十五騎武者行列
官兵衛、長政親子に仕え、功績を残した重臣たちを「黒田二十四騎」と呼びます。行列は、兜(かぶと)や鎧(よろい)を身に着けた地域の皆さんと長政公に扮(ふん)した騎手を加えた二十五騎を中心に、少年武者や稚児の装いの地域の子どもたちも加わり、西公園の光雲(てるも)神社から鴻臚館広場まで練り歩きます。
地域で受け継がれてきた伝統行事を、ぜひご覧ください。
詳しくは区ホームページ(「中央区 福岡城・鴻臚館まつり」で検索)で確認してください。
▽黒田二十五騎武者行列
日時:午前11時~正午
※雨天中止
▽おまつり舞台
日時:午前10時30分~午後3時30分
※雨天中止
鴻臚館広場(舞鶴公園内)では、地域の皆さんによるダンスやまとい太鼓などが披露されます。
料金:無料
問い合わせ:区企画振興課
【電話】092-718-1011【FAX】092-714-2141
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