第3回 水上飛行場跡と赤れんが塀
●福岡初の水上飛行場跡
大正14(1925)年、現在の港二丁目のかもめ広場沿いに水上飛行機の格納庫が設置され、福岡で最初の水上飛行場になりました。この場所から発着する飛行機は、大阪との郵便物の輸送に使用されていました。昭和2(1927)年4月から1年間、8機の水上飛行機で毎週3往復の輸送が行われていたそうです。
●戦争遺跡・簀子(すのこ)小学校の赤れんが塀
簀子小学校跡地(大手門三丁目)と簀子公園の間には、赤れんが塀が保存されています。戦時中は塀の一部が撤去され、穴が開いていました。地域の人は空襲の際、塀の穴をくぐり抜けて小学校の防空壕へ避難したそうです。現在は塀の一部が保存され、平和を願う遺構として地域で大切にされています。
昭和20(1945)年の福岡大空襲により、同地区では176人が犠牲になりました。戦争の記憶を風化させまいと、公園内の戦災死者供養塔前で、毎年6月に住民や地域の小中学生らが献花を行い、平和への祈りを捧げています。
問い合わせ:区企画振興課
【電話】092-718-1013【FAX】092-714-2141
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