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第9回 貝原益軒
黒田長政を初代藩主とする福岡藩の時代は260年余りに及び、その間に多くの優れた学者を輩出しています。「養生訓(ようじょうくん)」で知られる貝原益軒(かいばら えきけん)もその一人です。“養生の術を学んでよくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり”など、現代にも通用する健康についての教えを残しています。
益軒は、寛永7(1630)年に福岡藩士・貝原寛斎(かんさい)の五男として城内で生まれました。幼い頃から読書好きで儒学を学び、長崎では医学を学びます。
明暦2(1656)年、3代藩主の光之に仕え、その命により京都で朱子学を学ぶと、後に歴史学や地理学、医学、本草学など、さまざまな分野で才能を発揮し、名声を高めていきました。
また、旅好きだった益軒は多くの紀行文を残しています。夫人と連れ立って旅行する姿は当時としては珍しく、愛妻家だったことが分かります。
益軒は老年になっても健康維持に努め、84歳で「養生訓」を出版し、翌年85歳でその生涯を終えました。江戸時代前期としては驚くべき長寿でした。
益軒の著書は「養生訓」のほか、薬用植物などを記した「大和本草」、地誌「筑前国続風土記」が有名です。また、その博識から東洋のアリストテレスともいわれています。
益軒の墓と銅像は金龍寺(今川二丁目)に、屋敷跡の碑が荒戸一丁目に残っています。
問い合わせ:区企画振興課
【電話】092-718-1013【FAX】092-714-2141
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