令和5年8月25日~9月10日に行われたFIBAバスケットボールワールドカップ2023で日本代表がアジア1位となり、48年ぶりに自力で五輪出場権を獲得しました。
奇跡の大逆転劇ともいわれ、たくさんの人に感動を与えたバスケ男子日本代表。最年少にしてその立役者ともいわれる、日本のポイントガード(司令塔)・河村勇輝選手(22)と高島市長が対談しました。
◆福岡は人生を変えてくれた場所
市長 ワールドカップでの河村選手の活躍に私も興奮しました。バスケ強豪校がそろう福岡での高校時代の活躍も、記憶に新しいところです。山口県から福岡第一高校に進学した理由を教えてください。
河村 両親が教師でしたので、国立大学に進み教育の道を目指そうと思っていましたが、福岡第一の井手口監督に声を掛けてもらい、悩んだ末にバスケを選択しました。福岡に行く決断をしていなければ今の自分はありません。プロを目指したのも高校生の頃。福岡で培ってきたことが今に生きています。
市長 高校時代、印象に残っている試合を教えてください。
河村 1年時の大濠高校戦でスリーポイントシュートを1本も決められず、3点差で負けた試合です。先輩たちを差し置いて出場させてもらったのに負けてしまい、悔しくてたまりませんでした。
市長 その思いをどのように晴らしたのですか。
河村 1日千本のシュート練習をしました。1本1本、試合中の大事な場面を想定し、きつくてもベストを尽くそうと自分が満足するまで続けました。3年時の決勝戦で大濠高校に勝利した時は、苦しいことも全てこの瞬間につながっているんだと実感しました。
市長 休みの日が少なく、ほとんど体育館にいたと聞きました。福岡で過ごした高校生活の思い出はありますか。
河村 強いて言えば、遠征の途中で博多駅のイルミネーションをチームメートと一緒に見たことでしょうか。体育館の近くの店で仲間と食事をしたこともいい思い出です。毎日の練習が濃密で、人としても成長できた3年間でした。今思い返しても福岡第一での高校生活は、とても充実していました。
市長 ここ数年は、コロナ禍でいろいろな制限もあったのではないですか。
河村 大好きなバスケが思うようにできず、つらい時期を過ごしました。「だったら今やれることをやろう」と日々トレーニングに汗を流しました。今のバスケは、高さ以上に強さを求められます。スピードや俊敏性に磨きをかけて、自分の強みをとことん追求していきます。
市長 8月に高校総体のバスケットボールの競技大会が福岡市で開催されます。高校総体に向けて練習に励む高校生たちに伝えたいことはありますか。
河村 僕は高校時代に勝ち負け以上に大切なことを学びました。いかに準備して本番に臨むかで、結果は大きく変わってきます。一つ一つのことを諦めずに続け、何事も全力でやり尽くしてください。
市長 冷静な判断でチームを引っ張る、若き日本の司令塔・河村選手に世界が注目しています。
河村 ワールドカップで見えた課題の克服など、やるべきことはたくさんあります。チームメートと密にコミュニケーションを取り、パリ五輪までしっかり準備をして万全の状態で臨みたいと思います。皆さんに良い報告ができるよう精一杯頑張りますので、応援よろしくお願いします。落ち着いたらゆっくり福岡に帰りたいです。
市長 「夢はプロバスケットボール選手」という子どもたちも増えているのではないでしょうか。さらなる飛躍を期待しています。
◆読者プレゼント
河村勇輝選手のサイン色紙を3人にプレゼントします(4面参照)。
河村勇輝(かわむらゆうき)
山口県出身。福岡第一高校バスケ部主将だった高校3年時に特別指定選手(16~22歳で男子プロバスケットボール・Bリーグに出場できる制度)として三遠ネオフェニックス(愛知)に加入。東海大学に進学後、令和2年に特別指定選手として横浜ビー・コルセアーズに加入。令和4年2月に日本代表候補に選ばれ、五輪出場を見据え3月に大学を退学し、横浜ビー・コルセアーズとプロ契約を結ぶ。昨シーズンはBリーグのレギュラーシーズン最優秀選手賞など6部門を受賞。
○河村勇輝選手のここがすごい!
2メートルを超える選手もいる中で、172センチの河村選手の強みは、視野の広さとスピード、シュートの正確性です。味方選手を見ずに素早く正確なパスを繰り出す「ノールックパス」で相手を欺きます。司令塔ながら自分でシュートにまで持ち込める瞬発力と強さを併せ持ち、ラインの外から放つ見事なスリーポイントシュートで会場を沸かせます。
弱冠22歳の日本の司令塔が見せる華麗なプレーは、多くの人々を魅了しバスケファンを増やしています。
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