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名島学校
「歩・歩・歩(さんぽ)・会」
今村 一朗
豊臣秀吉が九州を平定した天正15(1587)年の博多は、度重なる戦禍で荒れ果てていました。
筑前国主となった小早川隆景(たかかげ)は、長く続いた戦乱で、学問がすたれ、人心も荒廃していることを嘆き、下野(しもつけ)国(栃木県)足利(あしかが)の足利学校に倣い、築城した名島に学舎を建て、武士や庶民を問わず勉学を勧めました。
名島学校は、文化庁が日本遺産に認定した足利学校に次ぐ古い学校といわれていますが、どこに建てられたのか、正確には分かっていません。
文禄4(1595)年、隆景は家督を秀秋(ひであき)に譲った後、備後(びんご)国(広島県)三原に戻り、領内に学舎を建て、名島学校と名付けています。知将であり情にも厚かった隆景は、庶民の教育にも熱心に取り組みました。
名島城本丸跡には、三原市から寄贈された足利学校ゆかりの「不断梅(ふだんばい)」があります。現代の学校の始まりともいえる名島学校を建てた隆景の功績をしのび、散策してみませんか。
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