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ちくしのびと chikushinobito(19)

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福岡県筑紫野市

美しい音色で聴く人の心を動かすバイオリン。ときに情熱的に、ときに甘く優しくバイオリンの音はとても表情豊かです。今回は、幼いころからバイオリンに魅かれ、世界を舞台に活躍するバイオリニスト・野田愛子さんを紹介します。

■夢と思いが、世界への道を切りひらく
元シカゴ交響楽団・バイオリニスト
野田愛子(のだあいこ)さん

▽Profile
昭和54(1979)年、筑紫野市生まれ。ピアノ奏者の母と、チェロ奏者の父と妹の音楽一家で育つ。
4歳からバイオリンを始め、9歳で最初のリサイタルを開いた後、スイスに移住。
28歳でシカゴ交響楽団の正式メンバーとなり、現在は欧州に活躍の場を広げている。
筑紫野市での思い出は、友達と一緒に遊んだ土曜夜市。

▽4歳にして人生を決める
野田さんがバイオリンを始めたのは4歳の頃。物心ついたころには両親と共にピアノ、チェロ、バイオリンの三重奏をしたい、という夢を持っていたそうです。野田さんは、両親の前で本と物差しでバイオリンを弾くまねごとをして自身をアピール。「バイオリンをしたいのか」と尋ねる父親に、すかさず「うん」と答えたとのこと。自分で人生を決めた瞬間として、今も鮮明に覚えているそうです。

▽スイスへの移住と音楽修行
バイオリンを始めた野田さんに、父親はクラシックの起源であるヨーロッパで音楽を学ぶよう提案。野田さんは9歳にして母や妹とともにスイスにわたり、ハンガリー人の先生からバイオリンを学ぶことになりました。はじめは言葉も分からず寝る間もない程、苦労したそうです。先生の指導も非常に厳しく、やめてしまおうと思うこともあったとのこと。しかし、「迷いが生まれたときにこそ本当の自分に気づくもの。私はバイオリンこそが人生だという思いで、何とか学び続けることができました」と力強く語ってくれました。

▽シカゴ交響楽団へ
その後、渡米して音楽の活動をアメリカへと広げていた野田さんは、28歳の時にシカゴ交響楽団のオーディションを受けることにしました。選ばれたのは、500人の中からたったの2人。難関を乗り越え、シカゴ交響楽団の正式なメンバーとなった野田さんは、世界的な指揮者であるベルナルト・ハイティンクの下で世界ツアーに参加。「バイオリンを弾く一方で、自分もお客さんの一人として他のすばらしい皆さんによる演奏を聴いている。こんなに幸せなことはないと感じました。人生で最も楽しかった思い出です」と懐かしそうに振り返りました。

▽筑紫野市での活躍
世界を舞台に活躍するようになった野田さんは、平成22年から毎年のように筑紫野市でコンサートを開催しています。
今年は文化会館でのコンサートに加え、二日市東小学校で3年生の音楽の授業としてバイオリン演奏を行いました。子どもたちの前で演奏するのをとても楽しみにしていたという野田さんは、「音楽もその他の勉強も、楽しく学んでほしい」と子どもたちに笑顔で語りかけていました。筑紫野市での子ども時代、練習がつまらずに家を抜け出し、近所の友達と遊んでいたことを思い出したのだそうです。
「これからも、子どもの頃にお世話になった筑紫野市に恩返しをしていきたい」と話す野田愛子さん。
筑紫野市と世界とをつなぐ、これからの活躍に期待です。

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