■其の九十七
武蔵温泉(むさしおんせん)のにぎわい
湯町にある二日市温泉は、近世から近代にかけて、「武蔵温泉(むさしおんせん)」と呼ばれ、人々に親しまれていました。明治10年代の温泉入浴客数では、なんと全国第7位にランクインしたほどです。大都市博多からほど近い温泉地だったことが理由だと考えられます。
武蔵温泉の人気を加速させるきっかけとなったのは、明治22(1889)年、九州鉄道二日市駅(現JR二日市駅)の開設です。鉄道誘致に尽力した地元の谷彦一が、これを機に湯町の温泉開発にも取り組んだほか、明治26年には博多の実業家、渡邊與三郎(わたなべよさぶろう)が商談の場として温泉街をリニューアルオープンし、宣伝しました。渡邊は浴場を豪華に改装しただけでなく、射的場などの娯楽施設もつくったようです。
その後も劇場ができたり、二日市駅から温泉街への道が整備されるなど、武蔵温泉は発展していきました。
当時は全国の温泉地が旧来の湯治場から娯楽性の高い観光地へ変わっていく時代でした。その時代の流れを巧みに捉え、交通インフラの整備や温泉・娯楽施設の整備などを進めたことが、武蔵温泉のにぎわいに拍車をかけたのではないでしょうか。
武蔵温泉は、昭和24(1949)年の昭和天皇の行幸というビッグイベントを機に、二日市温泉へと名称を変え今に至ります。
問合せ:文化財課
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