■「TUNAGU II」とは
人と人、心と心をつなぐ、世界とつなぐ―人権尊重のまちづくりの一環として、さまざまな人権問題について市民の皆さんと共に考えます。
■人間(にんげん)らしさを底(そこ)の底(そこ)まで、くみつくしたい
そのだ ひさこ
このタイトルの言葉は、「春の霜が朝日にあたって溶けるのに、何の不思議があろう。人間として生まれたからには、生きる喜びを底の底までくみつくしたい」(小説『破戒』島崎藤村/著)の一部からとっている。この言葉に、私は体中がぽっとあたたかくなり、何度も勇気が湧いてきた。
引用元の一節は、『破戒』の主人公で教員の丑松(うしまつ)の言葉だ。彼はいわゆる「むら」(被差別部落)出身者で、「むら」を出るとき、「決して、決して出生を明かしてはいけない」と父親に堅く言われていた。日々生徒と向き合ったり、好きな彼女ができたりするなか、黙秘しもだえ苦しむ中、ついに彼は出生を告白し、人間として、堂々とおおらかに生きていく人生をスタートさせる。私はこの言葉を「福岡部落史研究会(現福岡県人権研究所)」50周年記念行事の講演で引用し、同時に「おんなという人間の解放」について話をさせていただいた。
50周年記念行事は、「過去を訪ね未来に拓く」をテーマに、2024年9月28日に行われた。福岡部落史研究会はちょうど50年前の9月28日に発足した。まさに当時、長く深い部落差別に苦しみ、挑みつづけ、無くしていきたい熱い願い、「生きる喜びを底の底からくみつくしたい」という思いの実現でもあったと思う。「温かい陽だまりのような研究会に」と初代同人は書いている。
福岡部落史研究会は、50年前に21人で発足した。存命の人は、「功労者」として、来賓として招待した。本人が亡くなっている場合、ご家族に招待状を出した。イベント担当である私は、未だ存命中(!?)であり、功労者として位置づけられ、最後は人生初体験の50分間の講演をした。テーマは「双方から『壁』をこえる」という自分にとっても初めての大きなテーマだった。“他人の痛みや悲しみは解らない”それは鉄則である。解ったふりほど、人として恥ずかしいことはない。だが、それは到達点ではなく、出発点なのだ。“双方から壁を超える”。それは、「部落」、「部落問題」に出会って、60年近くになる私の最大の課題であり、悲願である。誤解を恐れずに言えば、「部落」と「非部落」のそれぞれの立ち位置をごまかすとかではなく、差別・被差別の歴史と関係の中で、それを踏まえながら、喧々諤々(けんけんがくがく)、議論できるようになる、間違えば互いに謝りあう。そういう率直な意見のやり取りなどにほとんど出会わない。一番の課題は「言葉が不自由」ということ。それは「関係が不自由」ということであると思う。それを1ミリずつでも越えていくのは、私たち自身である。「棚からぼた餅」はない。
■共に受け継ぎ、創り上げる
福岡県人権研究所創立50周年記念行事には、筑紫地区からも参加した人がいました。
開会行事で、人を尊敬することによって差別のない社会をつくることをうたい「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結んだ水平社宣言を朗読した青年。差別を打ちくだき確固たる人権尊重社会の到来を願って太鼓の演奏をした筑紫野市の小学生から高校生の11人の子どもたち。朗読した青年と太鼓をたたいた子どもたちの熱気から、水平社宣言に込められている熱い思いも世代間で受け継がれていることが実感できました。
本市では現在も行政区ごとに市民懇談会が実施されています。人権尊重のまちづくりを推進するためにも多くの人に参加していただきたいと願っています。
問合せ:教育政策課
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