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文化薫道(ぶんかくんどう) 〜文化の風が吹くまち ちくしの〜

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福岡県筑紫野市

■其の九十九
「ちくしの」が生(う)まれたとき
令和4年4月から2年に渡って「ちくしの」の歴史を振り返ってきましたが、いよいよ私たちがよく知る「筑紫野」誕生の時がきました。
私たちの普段の生活に直結する、市町村という自治体の形が出来上がったのは明治時代のことです。
慶応4(1868)年に江戸時代が終わった時、現在の「ちくしの」にあたる地域は、筑前国御笠郡の中の34の村でした。
これが、明治22(1889)年の市制町村制の施行で、二日市村、御笠村、山家村、筑紫村、山口村の5村となります。近代国家の基礎となる自治体の枠組みが整えられました。いわゆる「明治の大合併」です。
その約60年後、第二次世界大戦が終結して10年の時が過ぎ、もはや戦後ではない、といわれた昭和30(1955)年に、既に町となっていた二日市町を含む1町4村が合併します。自治体の効率化が求められ、その数が大幅に減少した「昭和の大合併」の時代のことです。
その後の「平成の大合併」では合併のなかった「ちくしの」は、この時点でマチとして完成していたのでしょう。
この新しい町につけられた名前こそ、1町4村のどれとも違う「筑紫野」だったのです。地形的にも立地的にも筑前と筑後をつなぐ位置にあたる「町」にふさわしい名前といえます。
その時、「ちくしの」が生まれたのです。この地にはじめて人類の痕跡が刻まれてから約1万2千年の時が過ぎていました。

問合せ:文化財課

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