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ふるさと歴史発見

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福岡県築上町

■第一三六回 弘法大師信仰(こうぼうだいししんこう)と旅
戦争のない平和な世の中となった江戸時代、全国的に旅が流行しました。伊勢参りや金毘羅参り、西国三十三所巡礼や四国遍路など、旅は信仰と結びつき、多くの人々が旅に出ました。
中津街道椎田宿は、「彦(山)九里、宇佐九里、小倉九里」(九里は約三十五キロメートル)といわれ、ちょうど各方面への中間地点にあたり、英彦山詣でや宇佐神宮参詣に向う人々の通過点でした。また、先祖や父母・兄弟・家族の菩提を弔うために『法華経』を六十六部書写して、全国各地に納経する六部(回国行者)も訪れ、西福寺(椎田)や薬師堂(臼田)のほか、上り松の個人宅に法華経を納経した、六十六部塔が建てられています。
文化十年(一八一三)に修験者、野田成亮が著した『日本九峰修行日記』に「十月十二日(中略)湊村八旗八幡(金富神社)へ詣で納経。当村松蔵と云ふに宿す。後より六部(回国行者)三人来り宿乞ふ(以下略)」とあり、回国行者や修験者、巡礼者が無料で宿泊できる善根宿が中津街道椎田宿周辺にありました。
こうした旅が流行する中、弘法大師(空海)ゆかりの四国八十八ケ所霊場巡礼(四国遍路)に行きたいが金銭的、体力的、時間的に難しい人のために全国各地に四国を模した霊場が創られ、容易に巡礼ができるようになりました。福岡県内では、天保六年(一八三五)に開かれた篠栗霊場がよく知られますが、町内にも六枝大師堂(東八田)や弘法堂(東高塚)、椎田、湊、坂本、小原などに弘法大師像が祭られ、かつては巡礼者を宿泊させ、食事でもてなすなどのお接待が行われていました。
岩丸六田の弘法大師窟は、天明八年(一七八八)に摂津国大坂の浄海和尚が法華経六十六部を全国各地に納める回国修行の途上に立ち寄り創建しました。 打越山の天然の岩肌に岩窟を彫り、弘法大師像や地蔵、観音菩薩像等の石仏が祭られます。弘法大師像の基壇には「奉納大乗妙典」と書かれ、法華経が奉納されています。
四月二十一日の大師堂大祭(お接待)では、蓬餅や山菜料理が振舞われ、御供物の小餅をいただくと子宝を授かるといわれています。令和二年から今年まで新型コロナの影響で中止となりました。来年は開催できると良いですね。
(文化財保護係 馬場克幸)

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