■第一四六回 お正月と引札(ひきふだ)
取引のある商店から新しいカレンダーが届くと、年末年始を実感する人も多いのではないかと思います。
明治から大正時代にかけては、年末になると「引札」と呼ばれるチラシ広告が配られました。テレビのような映像娯楽がなかった時代に艶(あで)やかな色彩の引札は人々に喜ばれ、壁や障子に貼られました。図版の引札は竹内家(伝法寺)旧蔵で、上図はかつて伝法寺にあった造酒屋の長野酒場のものです。正月らしい七福神が書初めに興じる場面を見ると思わず微笑んでしまいます。
引札にはこうしたおめでたい図柄のほか、汽車や電話機、郵便配達など明治日本の文明開化を象徴する図柄や日清・日露戦争の戦勝を祝ったもの(下図)も好まれました。
商店主は、大阪の版元が発行した見本帖を見て図柄を選び、地元の印刷屋を経由して、注文しました。版元は七月〜八月頃に木版多色刷で印刷し、商店の屋号は地元の印刷屋が印刷して商店主に納品しました。当時の価格で百枚一円二十銭、現在の価値にすると五千円で、一枚あたり五十円だったようです。
竹内家には四十五枚の引札があり、その一枚には「大阪市東区備後町古島竹次郎」とあります。古島印刷所の創業者で、明治十七年(一八八四)、全国に先駆けて木版機械刷を導入し、引札の大量生産を可能にしました。
引札は取引のある商店からもらうことが多いため、その数が多いほど商取引が多い裕福な家ととらえられました。派手で華やかな「客の目と心を引く」引札を受け取り、華やかな気持ちでお正月を迎えたことでしょう。本年が皆様にとって良い年となりますように。
※詳しくは本紙をご覧ください。
(文化財保護係 馬場克幸)
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