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広報あしや1000号記念特集(2)

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福岡県芦屋町

■広報あしやを育てた人にインタビュー
昭和52年から約8年間、役場の広報担当者として作成に携わり、現在の広報あしやの基となる形を作った、大長光信行さんに当時を振り返ってもらいました。

◆Q どのように広報紙を作っていましたか
○A まだパソコンもワープロもない時代だったので、記事は原稿用紙に手書きで書いていました。取材でのインタビュー内容もカセットテープに録音していたんですが、書き起こすのも一苦労でした。インタビューはその日のうちに原稿にしないと、話したニュアンスが変わってしまうので、家に帰って夜の12時を回って、妻に手伝ってもらいながらやっていたこともありました。起こした原稿を基に紙面のレイアウトを考えて、とにかく全部手作業でやっていたのが大変でしたね。当時は担当1人でしたから。

◆Q 当時は、「役場だより」と「広報あしや」があって2つを統合したとのことですが
○A 役場だよりには「お知らせ記事」、広報あしやには町の計画など「行政の情報」を載せていたのですが、役場だよりの方が生活に直結する情報なのでよく読まれていました。お知らせ記事と行政の情報を一緒に載せることで、町に今どんな問題があって、どのように進んでいくのか、町の動きや将来像を町民の皆さんに知ってもらえると思い、両方の良さを生かして統合しました。

◆Q 広報紙を作るときに、特に注意・意識していたことは何ですか
○A 「中学生が読んでもわかる表現にしなさい」と昔から言われていたので、読みやすい紙面づくりになるよう心がけていました。また、広報紙を統合してからは特に、できるだけ多くの町民に紙面に出てもらうようにしていました。親戚や友だちが載ると皆さんに喜んでもらえるんですよね。

◆Q取材などで苦労した話、思い出話などはありますか
○A ひとつは、花火大会の写真です。目で見るような花火の写真が簡単に撮れると思って、フィルム1本分撮ったんですが、いざ現像してみると、夜空の黒にに白い点々が付いているだけの写真でした。あわててカメラが得意な先輩に撮り方を教えてもらいました。しっかり撮れた時はとても感動しました。もちろん、広報の表紙に使いましたよ。
もうひとつは、当時中学生だった中西千枝子さん(元オリンピック全日本バレーボール代表選手。現在は濱田千枝子さん)を取材したことです。中西さんは、陸上競技でもバレーボールでも同時に活躍していたんですが、後にオリンピックで活躍する名セッターになった人を取材したと思うと誇らしく思います。

◆Q 現在の広報あしやにアドバイスをお願いします
○A 過去に起こったことだけでなく、今の情報や未来のための情報を発信してほしいですね。例えば、取材に行って、町民の人から話を聞いて、そこからわかる町のテーマを特集記事にしたり、分かりやすくするために専門家の話を聞くなど、よく調べて、かみ砕いて町民の皆さんにお知らせすることが必要かなと思います。

◆Q 最後に広報あしや1000号への想いを聞かせてください
○A 1000号というのは重みを感じますね。広報の歴史でもあり、町の歴史、そして、町の人の歴史ですよね。1号に1人としても最低でも町民が1000人載っていますからね。広報は町民にとって、とても重要な情報源なので、絶やすことなく、2000号、3000号と続くように頑張ってほしいです。

問合せ:広報情報係
【電話】223-3569

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