■ミシンと洋服温かさと思い出と(6)
◇思い出に寄せて
既製服を店で買うのが当たり前になったのは、そんなに昔のことではありません。
服は誂(あつら)える(頼んで作ってもらう)ものだった時代。雑誌『装苑(そうえん)』(1936年創刊)や『ドレスメーキング』(1949年創刊)などといった「スタイルブック」から流行を知り、好みの布を布地屋さんで買い求めたうえで、近所の仕立屋さんや洋裁のできる女性に頼んでおしゃれな服を作ってもらうか、自分でミシンを踏むか、のどちらかでした。これが、昭和20(1945)年から40(1965)年ごろの普通のことでした。戦後のベビーブームのころに生まれた団塊(だんかい)世代の人なら、うなずかれる人も多いことでしょう。主体はあくまでも自分で、いつ着る服か、どんなデザインの服にするかも仕立てる人と発注者が話し合って決めるのです。
しかし、グローバルマーケットの発展に伴って、服は地球上のどこかの工場で大量に作られるようになり、どこに行ってもみんな似た服を着ているようになりました。サイズも規格化され、それに自分を合わせることが当たり前となりました。どこか遠くで次々と大量に作られる服は、値段的には買いやすくなりましたが、誰が作ったのかを知ることはなく、作る側と着る側のやりとりも全く失われました。服は消費するものとなり、必要以上にワードローブに掛かっていますが、一つ一つの服への愛着も薄れてしまいました。
このような成り行きは、人と衣服の関係にとって本当はいいことではないでしょう。しかし、高度経済成長期のきらびやかさの中で、ブランド信仰やイメージ消費、そしてファストファッションの隆盛といった形は、その歩みが止まることはありませんでした。2010年代に入ってからは、特に、服飾業界全体の長引く不振もあり、停滞した現状の打開に向けたさまざまな試みが始まっています。
コットンフェアトレードや服作りの労働環境に目を向けたエシカル(倫理的)ファッション、素材のリサイクルや服のレンタル、中古服の再利用、ITの導入拡大による作り手と着る人の距離感…。どれが決め手となるのかということよりも、これらが新旧流行を繰り返しながら、時間をかけて融合し、新たな流れが生まれるのかもしれません。
(芦屋歴史の里)
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