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芦屋歴史紀行 その三百四十四

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福岡県芦屋町

■古印づくりと金文(きんぶん)
新人学芸員が、芦屋町の歴史を基本から探る不定期連載第2回をお届けします。
芦屋鋳物師講座の一つである「古印づくり」を紹介します。「古印」とは、古代の役所などで使われたきのこ形の印章のことです。

■錫(すず)の古印づくり
芦屋釜の里では、芦屋釜や芦屋鋳物に興味を持ってもらうため、芦屋釜と同じような製作技法を体験できる錫の古印づくりなどの鋳物講座を開催しています。また、町内の小中学校では、卒業記念で錫の古印を製作します。錫の古印づくりは芦屋釜の産地である芦屋町でしかできない体験です。
古印の印面に彫る漢字は、古代中国で金属に書かれた「金文」を推奨しています。
ここからは、約3000年前の中国で生まれた漢字がどのように変遷したか、その歴史を辿たどりながら、金文を紹介します。

■漢字の変遷
最古の漢字といわれているのは、殷(いん)時代後期(紀元前14~前11世紀)から使われた甲骨(こうこつ)文字です。亀の甲羅や牛の骨に占いの結果を刻んだことから、甲骨文字と呼ばれます。
甲骨文字に続いて登場する金文は、殷・周(しゅう)時代、青銅器に鋳込まれた古代文字です。金文は、西周(せいしゅう)時代(前1045~前771)に鼎(かなえ)(祭祀(さいし)に使われた青銅器)に鋳込(いこ)まれたものが有名です。芦屋釜の里では、京都市の泉屋博古館(せんおくはくこかん)と共同で、これまで不明だった金文を鋳込む方法を研究しました。その結果、泥水をつけた筆で鋳型に文字を書き、金属を流し込むことで、文字を青銅器に表したのではという新たな結論を出しました。この成果は、青銅器や書の研究者から大変な注目を集めています。
金文が盛んに使用された西周時代が終わり、春秋・戦国時代(前770~前221)に入ると、地域ごとにさまざまな文字が使われました。その後、中国を統一した秦(しん)(前221~前206)の始皇帝が文字の統一を図り、作られたのが篆書(てんしょ)です。点画が複雑な篆書は次第に簡略化され、隷書(れいしょ)が登場します。隷書は、後漢時代(25~220)になると公用文に使用されました。篆書・隷書は、現在でも印鑑などに使用されています。隷書が時代とともに変化し、私たちが普段使っている楷書(かいしょ)へと変化しました。
漢字の変遷をとおして、金文のことを調べてみましたが、いかがでしたか。鋳物講座は年間4回程度開催していますので、興味のある人は参加してください。

(芦屋歴史の里)

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