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ゆくはし今昔物語

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福岡県行橋市

来年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
【ID】0020341

◆~Vol.6 鉄道のまち・行橋
明治5年(1872)10月14日。東京の新橋から横浜間に日本で最初の鉄道が開通しました。このことを受け、毎年10月14日は「鉄道の日」に定められています。今回は行橋のまち発展の礎となった、「鉄道」について見ていくことにします。2023.10|22行橋の鉄道開通は明治28年(1895)のこと。行橋駅は筑豊炭田からの石炭輸送の中継地として栄え、北九州や中津方面への人流・物流を担う京築地方の鉄道輸送の一大拠点でした。明治末には1日の乗降客は約15,000人に達し、弁当や牛乳、新聞などの立ち売りや売店もあり、駅前(現在の東口)では人力車20両が営業。また、現在安川電機行橋工場がある駅南西には鉄道院の行橋工場があり、800人近い労働者を雇用する町随一の大工場で、大変な活況を呈していました。

◇1951年/昭和26年頃 行橋機関区の全景
行橋駅には社屋のほか、機関区、車掌区、保線支区、職員宿舎、診療所など、多くの機関が置かれました。当時の花形は何といっても蒸気機関車。日本では“Steam Locomotive”の頭文字から「SL」と呼ばれます。行橋機関区には「キューロク」と呼ばれた「9600形蒸気機関車」や「C11形蒸気機関車」などが配置されており、汽車の向きを変える転車台もありました。
・(本紙写真)中央はSL の燃料となる石炭をおいた炭台。その向こうに事務所や機関庫があります。左奥にわずかに見える森は神田町の正八幡宮。

◇2023年/令和5年 行橋駅東口に展示「C11の動輪」
行橋駅は平成11年(1999)に高架駅が開業し、駅の東西が一体となりました。駅東口では、平成16年(2004)、日本鉄道OB会行橋支部が創立50周年を記念し、「C11形蒸気機関車」の動輪を保存展示しています。「鉄道のまち」としての往時の賑わいを現在に伝える「産業遺産」といえるでしょう。
・(本紙写真)「C11形」の「C」とは、動輪(ピストンと連結された車輪)の数が3つであることを示しています。「D」は動輪の数が4つになります。

以前、行橋市役所の敷地内には「D51形蒸気機関車」が静態保存されていました。「D51形」は蒸気機関車の中でも最も多い1,184両もの車両が製造され、「デゴイチ」の愛称で親しまれたSLです。行橋に保存されていたのは「D5110」と10番目に製造された車両で、昭和48年(1973)の直方機関区配置を最後に廃車となり、翌年行橋市に貸与されたものでした。しかしながら老朽化が進んだため、平成29年(2017)に直方市のNPO法人「汽車倶楽部」に譲渡されました。奇しくも「里帰り」を果たしたデゴイチ。現在も継続して修復活動が行われており、かつての雄姿を取り戻すのもそう遠い未来ではなさそうです。詳細は右記のHP(本紙二次元コード)をご参照ください。

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