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ゆくはし今昔物語

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福岡県行橋市

来年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

~Vol.7 行橋の学校給食
日本における学校給食の歴史は明治時代までさかのぼります。明治22年、山形県の町で弁当を持ってこられない児童のためにおにぎりなどを配ったのが最初とされており、大正時代には東京でパン給食が実施されましたが、戦争により中断を余儀なくされます。昭和29年の「学校給食法」の成立を経て、行橋ではその20年後の昭和49年に、全校学校給食が始まりました。子どもたちの健やかな成長を願い、今日まで続いてきた学校給食。今回は、行橋におけるその変遷を年表で紹介します。

●明治22年(1889)[日本の学校給食の始まり]
山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の私立忠愛小学校で、おにぎり、焼魚、つけものなどを配食

●大正8年(1919)
「栄養学の父」と称される佐さ伯いき矩ただすの支援で、東京でパン給食を実施

●第2次世界大戦勃発
給食中断

●昭和20年(1945)終戦

●昭和24年(1949)
仲津小でおかずのみの学校給食がスタート

●昭和29年(1954)
「学校給食法」成立
小・中学校と義務教育を通じて学校給食を実施する、学校設置者による努力義務が明文化
戦後の食料不足により、栄養不足・欠食児童が増加

●昭和32年(1957)
仲津小が取組みの研究発表を行い、翌年に県から表彰を受ける

●昭和38年(1963)
稗田小で主食とおかずの完全給食が始まる

●昭和44年(1969)
仲津小、完全給食

●昭和49年(1974)
行橋京都給食センター開設(中津熊)
勝山・豊津・犀川町との共同事業で仲津小・稗田小以外の13校でも給食が開始

●昭和50年頃
行橋で学校給食が始まった頃は主にパン給食でした。

●昭和54年(1979)
第二給食センター開設(勝山町大久保)
近隣の稗田小、今川小、中京中の3校は第二センターから配食

●平成16年(2004)
市内では年間190日の配食、1日あたり約8,400人分の給食を調理
1食あたり、小学生215円・中学生255円

●平成20年(2008)
「学校給食法」の改正
「食育基本法」(平成17年制定)を受け、成立以来54年ぶりに大幅に改正

●平成26年(2014)
行橋市防災食育センター開設(東大橋)
みやこ町が町単独事業に転換、センターの設備老朽化もあり、蓄電設備を備え災害に強い新センターが完成
オール電化で7,000食分対応

●令和5年(2023)
仲津小の給食風景
米:パン=3:1で、月に1~2回ほど麺類が提供されています。
「黙食」は無くなりましたが、コロナ禍の影響で班をつくらず、各自の机で食べるのが基本

防災食育センターでの学校給食提供が始まって、早くも来年で丸10年。この間、コロナ禍やフードロス対策などのSDGsの普及・啓発、また近頃の物価高騰もあり、今現在、学校給食はひとつの変革期を迎えています。

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