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ゆくはし今昔物語

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福岡県行橋市

来年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆~Vol.8 蓑島と文久海岸
行橋市の東に位置する蓑島は、周防灘に面した自然豊かな漁師町。春は潮干狩り、夏は海水浴、そして冬はブランド牡蠣「豊前海一粒牡蠣」やワタリガニ(ガザミ)など周防灘で採れる魚介類を楽しめる市有数の行楽スポットです。市中心部から車で10分ほどの距離ですが、「蓑島」の地名が表すように戦前までは今川や祓川の河口に浮かぶ「島」であったことはあまり知られていません。市街地からは、島がなだらかな3つの山からなるように見えるため、「三島」と呼ばれていたのが「蓑島」の地名の起源と伝わります。

◇1925年頃/昭和初期 蓑島と文久海岸
対岸の沓尾山から蓑島を写したパノラマ写真です。文久海岸は沓尾の守田蓑洲が監督し、文久2年(1862)完成の文久新地によってできた海岸線で、青々としたクロマツが生い茂る景勝地でした。大正元年(1912)には、蓑島選出の京都郡会議員として活躍した磯村保平の尽力で、文久との間に蓑島橋が架けられます。それより以前は渡し舟が不定期で出ており、干潮時には着物の裾をまくって海を歩いて渡っていたと伝わります。戦前の蓑島は磯村屋による車エビの養殖が盛んで、汽車で東京の築地市場に送られていました。

◇2023年/令和5年 蓑島と行橋総合公園
蓑島は戦後の干拓事業により、昭和28年(1953)に陸続きとなりました。新たな干拓地には昭和35年(1960)に「青年の家」が開館。昭和から平成に移り変わる頃、市民体育館や研修センターを中心とした行橋総合公園が完成し、平成2年(1990)には「とびうめ国体」で剣道競技が催されました。近年は人工芝サッカー場やオートキャンプ場も開設されます。なお、行橋総合公園内に生えるクロマツは、かつての文久海岸の松原の名残と考えられます。
一方、戦後の蓑島はイカ籠漁、ノリ養殖などで栄え、平成9年(1997)には金屋から魚市場が移設され、名実ともに行橋の漁業の拠点となりました。
今年の「豊前海一粒牡蠣」の出来はまずまずとのこと。豊かな豊前海の恵みで、こころもお腹も満たされてみませんか?

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