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ゆくはし 今昔物語

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福岡県行橋市

来年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

~Vol.2 行橋市役所~
行橋市は昭和29年(1954)10月10日、当時の行橋町と蓑島、今元、仲津、泉、今川、稗田、延永、椿市の各村が合併して、県下18番目の市として誕生しました。仲秋の頃に市内を彩るコスモスは、市の誕生月に花を咲かせ、その1つの芯を中心に8つの花びらが咲き誇るさまはあたかも1町8村が合併した行橋市の繁栄を象徴することから、昭和41年に「市の花」に指定されたものです。ちなみに右の市章は「行」の字を崩した形で、円は市の円満、下を太くしたのは伸びゆく大樹を表し、やはり市の繁栄を祈願したものでした。

◆昭和29年(1954) 初代行橋市役所庁舎
昭和29年に行橋市が誕生した際、行橋市役所の庁舎として利用されたのは、現在の中央公民館の位置にあった京都郡公会堂でした。当時は「京都郡行橋町」であったことから、京都郡の中心であった行橋町には郡の施設が置かれていました。しかしながら郡公会堂は手狭で、旧行橋町や各村役場を支所や分室とするなど行政機能が分散されていたため、今から67年前の昭和31年(1956)7月、現在地での新庁舎建設が始まりました。

◆昭和32年(1957) 2代目行橋市役所庁舎が完成
現在の行橋市役所がある中央一丁目は、鎌倉・室町時代には今川の河口に近く、それ以前は海の底でした。新庁舎建設にあたり軟弱な地盤を強固にするため、基礎には長さ10m程のマツの杭が何十本も打ち込まれました。翌32年3月20日に完成した新庁舎は、鉄筋コンクリート造3階建てで、屋上には鉄骨造りの塔もありました。

◆昭和57年(1982) 現在の行橋市役所庁舎へ
昭和53年(1978)には市の人口が6万人を超え、行政事務が増大、細分化する流れに対処するため、昭和55年(1981)から現在の行橋市役所の建設に着工、2年後の昭和57年2月に7階建ての庁舎が完成するに至ります。そう、皆さんお気づきの通り、現在の行橋市役所の低層の庁舎は、昭和32年完成の2代目行橋市役所を改修したもので、「西棟」として市民の皆さんに活用されている現役の庁舎になります。

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