2024年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
■~Vol.9 今井津須佐神社
元永に所在する今井津須佐神社は、「今井の祇園さん」として行橋市民には大変馴染みの深い神社の1つで、春は神幸祭、夏は祇園祭、そして新年は初詣と多くの人々で賑わいます。
神社の起源は諸説ありますが、一説には鎌倉時代中期の建長6年(1254)、今井津に疫病が流行した時に京都の祇園社(現在の八坂神社)を勧請して祀ったのが始まりとされます。これにより疫病が収まったことから、翌年より疫病退散のお礼として始められたのが現在まで受け継がれている行橋の夏の風物詩・今井祇園祭(県指定無形民俗文化財、指定名称「今井祇園行事」)です。祇園祭では室町時代後期の享禄3年(1530)から連歌の奉納が続けられており、6年後の2030年には連歌奉納500年を迎えます。大祭2日目の夜祇園で、今井西町の「山車」の周りで執り行われる「車上連歌」は誰でも自由に参加することができ、即興で句が詠み交わされる情景はとても趣深いものがあります。
◇1912年頃/明治時代末期 今井津須佐神社の拝殿
今井津須佐神社は明治20年代に大造営され、現在の姿になりました。目を引くのが拝殿の参拝所が2ヶ所あることで、向かって左が今井津須佐神社、右が元永・長井地区の氏神である大祖大神社の参詣所になります。神様が祀られている本殿はそれぞれ独立した建物ですが、拝殿以下の境内地を2つの神社が共有することから「ご両社」とも呼ばれます。
・銅製の灯籠、狛犬、拝殿前の玉垣などはいずれも太平洋戦争中に金属不足で供出され、現在は残っていません。
◇2023年/令和5年 今井津須佐神社の今
今井津須佐神社は現在1つのターニングポイントを迎えています。平成30年(2018)の「西日本豪雨」で被災し、行橋の降水量は436.5mmを観測し、境内地は大きく地盤がゆるみ、要塞のような高石垣にも損傷が生じました。あれから5年余り経った現在では、本殿に参詣できるようになったものの、かつて元永神楽が奉納されていた神楽殿は傷みが激しかったため解体されました。復興委員会によると廻廊の一部解体も検討されており、根本的には地盤改良が不可欠とのこと。復興はまだ始まったばかりです。
神社やお寺にお参りに行き、新しい一年の幸せを祈願する初詣。「今井の祇園さん」の「昔」を懐かしみ、「今」を目に焼き付ける。復興への思いを馳せる、そんな一年の始まりにしてみませんか?
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