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ゆくはし今昔ものがたり 二〇二三年創刊

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福岡県行橋市

◆’50 ’60
女優マリリン・モンローが来日(’54)
カラーテレビが21インチ45万円で登場(’60)
坂本九「上を向いて歩こう」がヒット(’61)
東京オリンピックが開催(’64)

1954 行橋町、蓑島村、今元村、仲津村、泉村、今川村、稗田村、延永村、椿市村の1町8村が合併し、行橋市が誕生。(合併当時の人口44,807人)
1957 市庁舎(現在の西棟)が完成。
1964 市制10周年。市民会館が落成。
・西棟は耐震工事を行い、市庁舎として現役。今年で築67年となる。
1966 日豊本線の小倉-新田原間が複線電化に。

◆’70
万博博覧会が大阪で開催(’70)
世界初のカップ麺「カップヌードル」が販売(’71)
札幌五輪(’72)イルカ「なごり雪」がヒット(’75)
ピンクレディー「ペッパー警部」がミリオンヒット(’76)

1971 市の人口が5万人を越える。
1978 市の人口が6万人を越える。
・日豊本線の複線電化で小倉方面へのアクセスが良くなり、市外への買い物客を引きとめようと「土曜市」が開催されるようになった。魚町商店街では、18:30〜21:30まで交通規制をかけ、「歩行者天国」を実施するようになり「夜市」が始まった。
1979 6.30水害により、市の中心部が冠水する。アーケード「えびす通り銀天街」が完成。
・梅雨前線に伴う長雨と集中豪雨、そして周防灘の満潮が重なり、市内4つの河川が決壊・氾濫。この結果、長峡川などで大規模な治水工事が行われた。

◇70年代の行橋
この頃の行橋市は、66年の複線電化や苅田町に日産自動車の工場ができたことなどに伴い、ベットタウン化が急速に進みました。わずか8年(71〜78年)で人口が1万人増えています。当時の行橋小学校は全児童が2,700人。全国でもトップ10に入るマンモス校でした。
・赤土の部分は、宮の杜の宅地造成に伴って、発掘された下稗田遺跡。

◆’80
聖子ちゃんカットが大流行(’81)
東京ディズニーランドが開園(’83)
「ドラゴンボール」が連載開始(’84)
ファミコン用ソフト「ドラゴンクエスト」が販売(’86)
消費税がスタート(’89)

1982 新市庁舎(現在の東棟)が完成。
1984 市制30周年。「市民憲章」を制定。
1987 市民体育館が開館。日豊本線「南行橋駅」が開業。
1989 夏まつり「こすもっぺ」が開催。平成筑豊鉄道が開業。

◆’90
スーパーファミコン販売(’90)
マイクロソフト「Windows95」が販売(’95)
ポケットモンスター・
’90たまごっちが大流行(’96)
長野五輪(’98)
「だんご三兄弟」が大ヒット(’99)

1990 複合文化施設「コスメイト行橋」が開館。
・今では行橋の夏を彩るまつりとして定着したこすもっぺ。第1回こすもっぺでは、今まであった「いまいち」に加え、提灯火山、市中パレード、創作イカダコンテスト、花火大会などが盛大に行われた。
1991 国道10号行橋バイパスが開通。台風17号、19号により被災。
1995 中津熊に総合福祉センター「ウィズゆくはし」が完成。行橋駅西口の区画整理事業に着手。
1997 蓑島に「行橋魚市場」が完成。市の人口が7万人を越える。
1999 行橋駅高架事業が終了。
・長峡川の鉄橋と高架工事の様子。当時は川の両岸に踏切があった。
・行橋駅が高架になることで東西の分断が解消。元々駅舎があった場所は現在、ロータリーになっている。

◇80〜90年代の行橋
この頃の行橋は財政再建が完了し、地方都市としてリスタート。それまで着手できなかった「ハコモノ」の整備が進められ、新庁舎(現在の東棟)、コスメイト行橋、行橋北小学校などが建てられました。総合公園(市民体育館や武道場など)の整備もこの頃に行われています。
現在の行橋駅西口側の発展の礎となる開発が始まったのもこの時代です。
・今年で築34年となるコスメイト行橋。

◆’00
日韓ワールドカップ開催(’02)
韓国ドラマ「冬のソナタ」が大流行(’03)
福岡ダイエーホークスが福岡ソフトバンクホークスに(’04)
Apple「iPhone」が日本初上陸(’08)

2004 市制50周年。「行橋みやこ大橋」が完成。

◆’10
AKB48が大流行(’10〜)
東日本大震災が発生(’11)
東京オリンピックの招致が決定(’13)
九州北部豪雨(’17)
流行語大賞に「忖度」(’17)

2014 東九州自動車道苅田北九州IC-行橋IC間が開通。
2020 図書館等複合施設「リブリオ行橋」が開館。長井浜公園が開園。

◆そして、新たな歴史の1ページへ…。
今回の「今昔」は、行橋市70年のあゆみを振り返ってみました。財政的に厳しい時期、大きな災害に見舞われたこともありましたが、順調に発展を遂げ、人口も合併時の44,000人から72,000人まで増加し、まちの姿も一変しました。
これまで市政の発展を支えてくださった先人に感謝し、これからは今を生きる私たちが10年、20年先の行橋に思いを馳せ、新たな歴史の1ページを刻んでいきます。

「実は…私が今昔物語を書いています。」文化課の山口さん

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