市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
◆~Vol.019 行橋の映画館
12月1日は「映画の日」です。明治29年(1896)にエジソンが発明したキネトスコープ(初期の映画鑑賞装置)が初めて神戸で輸入上映されたことに由来し、日本における映画産業発祥(日本で初めての有料公開)を記念して、60年後の昭和31年(1956)に定められたものです。
行橋で最初に映画(明治・大正時代は「活動写真」と呼ばれた)を上映したのは、大正時代に宮市町にあった「豊昇館」で、現在のハミング通り沿い、福岡中央銀行行橋支店の北側角地にありました。「豊昇館」は昭和3年(1928)に全焼しましたが、翌年その跡地に「旭館」が開館しました。
◇1929年/昭和4年 開館当時の旭館
戦後、大衆娯楽としての映画は全盛期を迎え、昭和33年(1958)の映画館の観客動員数は11億3千万人を数えました。当時の日本の人口は9千万人。統計上はすべての国民が毎月1回映画館に通っていたということになります。
行橋の全盛期は昭和20年代後半で、6つの映画館がありました。魚町銀座商店街の「旭館」、その西には「豊昇館」を継ぐ「富士館」、駅前ビルの「名画座」、駅前通り(中央3丁目1番)には「祇園座(後の祇園東映→行橋東映)」、大正町(中央3丁目7番)の「行橋映劇(後の行橋日活)」、神田町(中央3丁目9番)には「京映館」がありました。
(本紙写真)
魚町銀座商店街(現・ハミング通り)にあった行橋では「豊昇館」に次ぐ映画館。昭和39年に閉館。その後は「ショッピングデパート相互」(平成11年閉店)となり、長年魚町商店街の中心として賑わった。
◇1957年/昭和32年 栄館前で
昭和32年(1957)には、西町の舟路川横、現在のえびす通り銀天街を抜け、美夜古通りとぶつかる角地(大橋3丁目10番)に「栄館(後の栄文化)」が開館。西町商店街の人たちが「映画館がないと買物客が集まらない」とつくられた映画館でした。しかしながら、家庭ではテレビが普及し、娯楽のあり方も多様化していき、行橋最後の映画館「栄館」は昭和61年(1986)に惜しまれつつ閉館しました。
(本紙写真)
開館間もない栄館前での記念写真。栄館の跡地は令和6年現在、駐車場となっている
現在の映画館は、ショッピングモールなどに併設された複数のスクリーンをもつシネマコンプレックス(シネコン)が主流で、「昔ながらの映画館」は空前の灯火といえます。
残念ながら、行橋には「昔ながらの映画館」はなくなりましたが、地域には旦過市場の大火災より再建された「小倉昭和館」があり、こうした古きゆかしき景色を未来へと継承していくことも、今を生きる私たちの使命ではないでしょうか。
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