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末松謙澄の師 村上佛山を巡る人々

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福岡県行橋市

村上仏山(ぶつざん)は天保六年(一八三五)に上稗田村に私塾「水哉園(すいさいえん)」を開き、末松謙澄をはじめ優れた人材を数多く育てた教育者、漢詩人。この連載では仏山と関わった人々を通して、江戸時代から近代の学問や教育について考えます。

◆貫名海屋(ぬきなかいおく)と池内陶所(いけうちとうしょ)
江戸時代後期に貫名海屋(一七七八~一八六三)という学者がいた。海屋は、四国・阿波(今の徳島県)の出身で、大坂の中井竹山(なかいちくざん)に漢学を学び、京都の矢上快雨(やがみかいう)に詩文を習い、尊皇攘夷の吹き荒れる幕末の京都で私塾「須静堂(すせいどう)」を開き、朱子学・陽明学・古学をあわせた折衷学を志の高い若き志士たちに教えた。
村上仏山は、文政十三年(一八三〇)八月から四ヵ月ほど須静堂に滞在し、海屋から親しく指導を受けた。元来、勤皇の志が厚く幕府に捕縛されるおそれから海屋は一時期、仏山の家に亡命していた。その時に揮毫した扁額が仏山堂文庫と仏山の生家に残されている。仏山にとっては、心より尊敬する秋月の原古処(はらこしょ)・白圭(はっけい)父子を亡くしてから、久々の素晴らしい師との出会いだった。後に、海屋は『仏山堂詩鈔初編』に評文を寄せている。仏山は、この須静堂で池内陶所と出会って意気投合した。
池内陶所(一八一四~一八六三)は、京都の商家の出身で、やはり尊皇攘夷の志士だった。五十歳の時に路線の違いからなのか、残念な事に尊攘過激派の士から暗殺された。
陶所は仏山にとっては大恩人で、詩集の刊行時に親身になって世話をしてくれた。これは、仏山の義弟である安広仙杖(やすひろせんじょう)が、偶然にも嘉永三年(一八五〇)六月に京都で陶所の塾に入門した事がきっかけとなった。仏山は、「これは、奇縁だ」と陶所に詩集出版への協力を求める便りを送った。返事は「及ばずながら、ご協力したい」とあり、旧師・海屋を初め京坂詩壇の名家のほとんどが、陶所の依頼に応えて序文・評文を寄稿してくれ、自らも評文を寄せた。
そして、陶所は安政四年(一八五七)五月に水哉園を訪れた。実に、二十八年ぶりの再会であった。「朋ともあり遠方より来る亦また楽しからずや」と、仏山は体調が優れない中を大感激して歓待し、つもる話を一晩中交わした。このように、仏山は恩師や朋友に恵まれた人生を送った。
(末松謙澄顕彰会 堀史雄)

◆長梅外(ちょうばいがい)と三洲(さんしゅう)父子
長梅外は文化七年(一八一〇)に大分県日田市に生まれた。名は允まこと。号は梅外、南梁。初め医学を学んだが、後に漢学を志し、広瀨淡窓(ひろせたんそう)に師事した。
やがて独立して英彦山などで塾を開いていたが、詩作も好み、多くの詩文を残している。著書に『梅外詩鈔(ばいがいししょう)』、『梅外詩話(ばいがいしわ)』などがある。
梅外が英彦山で塾主をしていたころ、村上仏山とは親しくなって何度か詩会を開き、互いに行き来するようになった。仏山は「彦山の長南梁(梅外)を憶(おも)う」、「長南梁父子と別れて、夜の雨に思いをのべる」などという題の漢詩をつくって『仏山堂詩鈔』に収録した。
梅外は長男の三洲と共に勤王倒幕運動に加わったため、幕府の役人に追われる。『仏山堂日記』の弘化二年(一八四五)一月十五日に、仏山を訪問したが、その際、「野沢数馬(のざわかずま)」の変名を使って、こっそりと訪ねている。
やがて明治になると梅外は一時、長州の萩に移り住んでいたが、まもなく東京に出て行く。
長三洲は梅外の長男。名は炗(ひかる)。字(あざな)は世章。号は三洲。天保四年(一八三三)九月に生まれ、幼い時から両親について学問を始めたが、上達はめざましく、「神童」といわれていた。やがて広瀨淡窓の「咸宜園(かんぎえん)」に入門し、三年余りの速さで最上級に上がる。詩文、書画にすぐれていた。
一時、広瀨淡窓の弟旭荘の塾にいたが、勤王運動に加わって西国を奔走。やがて幕府の逮捕を逃れて長州に行き、長州藩士となる。藩校明倫館でも講義。高杉晋作らと倒幕運動に参加し、幕府軍と戦い、小倉戦争、戊辰戦争にも参戦した。
三洲はやがて明治四年(一八七一)、官吏(かんり)となる。文部少丞(しょうじょう)の時「明治学制」の基になった「学制五篇」を草したが、これは「咸宜園」の学制を参考にしたという。その後、文部大丞(たいじょう)、宮内省御習書御用掛(くないしょうおならいがきごようがかり)、文学御用掛などを歴任。その間、『三洲遺稿』、『書論』など多くの著書を残している。
三洲は水哉園出身の吉田学軒(漢学者)、末松謙澄(歴史学者・政治家)などとも親しくしていた。
(末松謙澄顕彰会 城戸淳一)

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