◆Vol6. 忘れられた偉人 奥村喜和男(おくむらきわお)
歴史の転変で、時が人をつくるというが、逆に人を消すこともあるようだ。いくら時代を動かしていても、時が過ぎると消される人物も出てくる。消えた郷土人に光を当ててみたい。
◇奥村喜和男の遍歴
行橋市天生田生まれの奥村喜和男(一九〇〇~六九)の跡を辿ってみる。一時代を画した人物だが、今は、消え、隠れ、埋もれたままだ。奥村は、今川尋常小から豊津中に入学し「一番奥村喜和男とあり、嗚呼!不肖自分が学生の理想、首席を捷得たるなり。月桂冠を戴けるなり」と記し、首席卒業をした。同級には文部大臣を務めた劒木亨弘(一九〇一~九二)がいた。奥村は第五高(現熊本大)に進み首席卒業、東大法学部に入学。高等文官試験に合格。大正一四年(一九二五)に逓信省に入省。そこで「電力国家管理案」を纏めて電力会社の「民有国営」実現に奔走。当時、岸信介商工次官や迫水久常大蔵官僚らと「革新官僚」として活躍。後、昭和一六年(一九四一)に東條英機内閣の「内閣情報局次長」に任じられ、東條側近の一人として国民の世論形成や扇動実務を担った。
◇第二次世界大戦宣戦布告の宣伝
国民鼓舞だろうか、昭和一六年一二月八日の第二次世界大戦に向け、昭和天皇の宣戦布告後「宣戦の布告に当り国民に愬(うつた)ふ」として、奥村が、その夜、国民に向けて放送した「愬ふ」を抄録する。
われらの祖国日本は、本日実に重大なる運命の中に突入したのであります。真に皇国の興廃を賭して万里の波濤を拓開せんとする苦難の道へ突進したのであります。(略)歴史の上に堅く刻み込まるゝ日となりました。(略)本日、米国及び英国に対し、畏くも宣戦の御詔勅が渙発せられたのであります。(略)この度の戦ひは、アジア恒久の平和と光栄のために、千年の禍の根源を絶たんとするのであります。(略)国民諸君、同胞諸君、今、正に時は到ったのであります。(略)天皇陛下万歳(略)
彼は、放送二年後、情報局次長を辞任退官。時代に求められ、要請を享け、素直に従った人物が居たのは事実、だが、後の世、彼は語られることなく、居た事さえ忘れられている。
末松謙澄顕彰会 光畑浩治
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