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ゆくはし今昔物語

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福岡県行橋市

2024年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆~Vol.10 行橋と渇水問題
行橋市は日本の気候区分では瀬戸内海式気候帯に位置し、降雨量が比較的少ないとされます。また市域を流れる河川は、英彦山や平尾台を源流とし、長さが短く傾斜が急であるため、雨が降ってもすぐに海に流れていくことから、この地域は昔より干害に悩まされてきました。市内に多くのため池があるのは、生活の礎であった農業用水の確保のためで、その大半は江戸時代頃に築かれたものです。
行橋が上水道事業への本格的な取り組みを開始したのは、市制施行前の昭和26年(1951)のこと。翌年、当時の行橋町が現在の大橋一丁目で浄水場建設に起工、昭和28年5月に「行橋浄水場」が完成し、町内で給水を開始しました。

◆1958年/昭和33年 干上がった今川の河床
昭和33年(1958)からは3年連続の干ばつにより夏場は給水制限。この未曽有の大干害により、矢留の裏ノ谷池を貯水池として利用するため、新たに浄水場の建設に着手、昭和36年に「矢留浄水場」が完成し、給水能力は2倍になりました。また昭和45年(1970)には入覚に市内最大の農業用水池「御清水池(おしょうずいけ)」が完成します。

・(本紙写真)豊国橋から下流(蓑島方面)を写したもの。昭和33年は6月17日から8月1日までの45日間全く雨が降らず、今川が干上がった。左奥の建物は当時の行橋市庁舎(現在の行橋市役所西棟)。

◆2024年/令和6年 現在の今川の流れ
治水、灌漑、利水を目的とし、昭和46年に今川上流の添田町津野に「油木ダム」、およそ半世紀後の平成30年(2018)には、祓川中~上流域のみやこ町伊良原地区に「伊良原ダム」が国、県の事業で完成します。その中でも行橋市の上水道は、8割余りを油木ダムに依存しており、文字通り「行橋の水がめ」といえます。
しかしながら、行橋市はここ最近の10年間でも、水不足により4度渇水対策本部が設置されており、渇水問題は市政喫緊の課題といえるでしょう。

・(本紙写真)令和6年1月12日現在の今川。冬場は降水量が少なく、水位の低下により河床が一部のぞいている

普段なにげなく使っている、水。あって当たり前のように思いがちですが、水は限りある資源です。「歯磨きをする時はコップを使う」、「お風呂の残り湯を洗濯や掃除に使う」など日常生活を見直し、皆さんも「節水」を心がけるようにしましょう。
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