2024年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。
◆~Vol.11 全国火災予防運動と行橋の消防防災
日本の火災予防運動はアメリカにならって行われるようになりました。大正15年(1926)9月に、全国消防組(現在の消防団にあたる組織)組頭大会が初めて東京の明治神宮外苑で開かれ、全国一斉に「防火デー」を設けようとの提案がなされました。翌年2月9日には、大日本消防協会(現在の日本消防協会)が設立され、防火防災思想の普及活動が事業目標として示されました。火災予防運動普及の直接のきっかけとなったのは、同年3月7日に丹後(現在の京都府北部)西北部を襲ったマグニチュード7.5の「北丹後地震」でした。この地震による全半壊・焼失家屋は16,259戸、死者と行方不明者は合わせて2,925人という甚大な被害が出ました。この災害がきっかけで、火災予防運動は近畿地方から全国へと広がっていくことになります。
現在、3月1日から3月7日までの一週間を春の火災予防運動週間と定め、各自治体がその地域の火災発生状況や特性等に応じ、防火防災に関する広報など、火災予防の推進に取組んでいます。
◇1939年/昭和14年 福岡県消防大会に参加した行橋町消防組
昭和14年(1939)3月、福岡県下300余りの消防組が参加して、第12回福岡県消防大会が行橋町で開催されました。観閲式は行橋公園(現在の中山記念公園周辺)で行われ、次いで神田町の正八幡宮へ参拝。稲荷座(現在の行橋郵便局にあった大衆劇場)までパレードし、決起大会を実施しました。戦時色が濃くなる中、消防組は警防団(空襲や災害から市民を守る組織)へと改組され、福岡県消防大会は行橋町での第12回大会が最後となりました。
(写真)大橋2丁目の大橋神社に勢ぞろいした行橋町消防組。高張提灯や纏(まとい・町火消の各組が用いた旗印)も見える。
◇2024年/令和6年 守田蓑洲旧居での防火訓練
昭和22年(1947)、消防組織法が成立。消防責任を市町村が負うこと(=自治体消防)となり、警防団も消防団へと改組移行されました。行橋では市制施行前の1町8村時代の消防組織は消防団のみでしたが、行橋市誕生の3年後、昭和32年(1957)に市役所総務課内に常備消防体制が整備されます。
現在、行橋市の消防体制は消防吏員76名、消防団は第1~10分団の10分団、計493人からなります(令和6年2月現在)。
(写真)今年の1月26日の文化財防火デーは、沓尾の守田蓑洲旧居(史指定史跡)で、消防本部・消防署、消防団、沓尾区合同の防火訓練を実施。消火器の使用訓練の様子。
皆さんも今一度、防火防災の意識を高め、安全な暮らしを守ってくれている「消防人」について考える機会にしましょう。
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