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ゆくはし 今昔物語

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福岡県行橋市

2024年、市制70周年を迎える行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆~Vol.17 行橋の救急業務
わが国における救急業務は、昭和6年(1931)に日本赤十字社大阪支部が大阪市に救急車を配備したことに始まります。翌年には横浜、翌々年には東京や名古屋でも救急業務を開始します。その一方で、救急車が珍しい時代であったため、市民にその利用を呼びかけるのも大変なことでした。新聞に広告を出す、ポスターを掲示する、また電話帳や運転免許証に救急車の呼び出し番号を印刷するなどして、救急業務の普及が行われました。

◇1969年/昭和44年 救急業務を開始
行橋市が救急業務を開始したのは昭和45年(1970)4月のこと。全国的に自動車社会を迎え交通事故が増え、一方で急病人の病院への搬送など、市民からの強い要望で配備されます。救急車はトヨタのクラウン・ピックアップをベースに、ベッドや担架などの救急器具、無線機を配備した特製で7人乗り。同年12月までの9ヶ月間の出動回数は140回で、内訳は交通事故61回、急病37回などでした。
ちなみに当初のサイレン音は「ウー」と消防車と同じでしたが、昭和45年(1970年)にお馴染みの「ピーポー」という電子サイレンへと変更されました。

・昭和44年5月発行の市報「ゆくはし」No.126より。利用は火災事故、交通事故、生命に危険を及ぼす急病などに限定しましたが、同年9月発行の市報には「救急車の利用は正しく」という記事があり、「酔っ払い」や「軽傷」などの通報に苦慮したことがうかがえます。

◇2024年/令和6年 高規格救急車と救急救命士
昭和時代の救急業務は、病院への救急搬送が主な業務でした。救急隊員は「医師でないため、医療行為を行うことはできない」とする日本の法制度上の制限で、救急搬送中の医療行為が一切禁止されていましたが、平成3年(1991)に「救急救命士法」が制定。行橋市では平成9年(1997)に1名の救急救命士が消防本部に配属され、また救急車も搬送を目的としたものから、救急救命士が活動するに十分な「高規格救急車」が配備されるようになりました。

・行橋市消防本部には、令和6年8月現在、4台の高規格救急車が配備され、総員25名の救急救命士が活躍しています。

昭和57年(1982)年に、9月9日を数字のゴロから「救急の日」とし、この日を含む1週間を「救急医療期間」と定めています(今年は9月8日~14日)。救急医療及び救急業務に対する国民の正しい理解と認識を深め、救急医療関係者の意識の高揚を図ることを目的とするものです。加えて、救急医療を支えている救急救命士や医療関係らの皆さんに今一度思いを馳せ、感謝をする機会となれば幸いです。

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