◆助け合い、支え合い、この海で共に生きていく
世界でも有数の長さを誇る日本の海岸線には、多くの漁村が存在しています。行橋でも、稲童・沓尾・蓑島といった地域で、様々な海産物が水揚げされてきました。12月初旬に魚市場で開催されたお魚フェアでは、行橋の漁村で獲れた魚介類が一斉に並び、多くの人で賑わいました。
これまで、このクローズアップのコーナーでは、農業の担い手不足について触れてきましたが、深刻な担い手不足に悩まされているのは、漁業もまた同じです。多くの漁村では、人口減少や高齢化が進んでいます。そしてさらに、漁業就業者数の減少に加え、地球温暖化による海洋環境の変化による漁獲量の減少という問題も抱えています。
今後、漁業就業者の確保はもとより、漁村に賑わいを生み出し、漁村の活性化をいかに図るかが重要となります。
今回の特集では、定置網漁の五代目として活躍する稲童漁港の女性漁師と、豊前海一粒かきの生産から販売までを担う蓑島漁港の若きエースをクローズアップ。「互いに助け合い、支え合い、そしてこの海で共に生きていく―」。若き後継ぎたちの決意がそこにはありました。家族と、仲間と、漁村の人々と・・・故郷の海を大切に思い、家業を絶やさぬよう努力する姿、漁業を支える人々に感謝し邁進し続ける姿をご覧ください。
稲童と言えば、底びき網漁業。底びき網漁は、漁船から伸ばした曳(ひ)き綱(ワイヤー等)に連結した漁網を曳航(えいこう)し、漁獲を行う漁法です。1月には、ワタリガニや車エビ、赤貝やナマコなどが獲れます。
ここで、定置網漁を行う漁師の岩本ひろみさん。多くの漁村で、女性漁師の活躍を推進することが課題となる中、岩本家の五代目漁師として稲童で活躍しています。
定置網漁は、海中の定まった場所に網を設置し、魚を獲る漁法です。タイやブリ、ヒラメ、スズキ、ハモ、キス、サワラ等、みなさんもよくご存じの魚が獲れます。1月はマコガレイ等、カレイがよく獲れると言います。
ひろみさんが船に乗って漁に出始めたのは、約8年前。鹿児島で生活をしていましたが、帰郷したことをきっかけに家業である漁業を継ぎました。
幼い頃は、祖父と父は夜中に漁に行き、そのまま市場へ魚を出荷するため、顔を合わせることが少なかったと言います。それでも、祖父や父の姿を見たり、手伝いをしたりする中で、「獲れる喜びと新鮮なものを食べられる幸せ」を感じて育ちました。
現在、船に乗って漁に出ている女性の漁師は3人。ひろみさんと母、そして右写真でひろみさんの横に写る重松さんの3人です。ひろみさんの母も漁村の高齢化を受け、会社を定年退職後、1年前から船に乗り始めたそうです。岩本家の女性漁師2人は、まだ船酔いに悩まされることが多いとのことですが、担い手不足を食い止める貴重かつ重要な人材です。
現在小学5年生の息子を育てるひろみさん。息子が幼い頃は、子どもの時間を優先して仕事を切り上げていたそうです。育児をしながら漁に出ることは容易いことではありません。しかし、「息子が小学生になり、漁師という職業を理解してくれるようになったこと、1年前からは母も加わり親子3人で作業するようになったこと、妹や弟家族のサポートや周辺漁師の方々の協力にとても感謝しています。時間に余裕が持てるようになりました。」と、変化をお話ししてくれました。
定置網の中に大量のクラゲやゴミが入っているとき、海が時化(しけ)たときの漁は本当に大変です。取材時(12月中旬)も、本来ならば大物が狙えたはずが、大量のクラゲにより漁獲が少ないと嘆いていました。漁師の仕事は、自然の影響がダイレクトに反映されます。
自然相手の大変な職業ですが、やりがいと意気込みをお聞きしました。
「代々続いた漁師の家系で、私が初めて女漁師となりました。今では、息子も漁師の道を歩みたいと言ってくれています。幼い頃から感じていた、獲れる喜びと新鮮なものを食べられる幸せは今でも変わりません。特に、獲れた魚が市場で褒められて売れた時はとてもやりがいを感じます。息子やその次の代にも残していけるよう、周りの漁師の方々と協力しながら一緒に定置網を守っていきます」。
定置網漁は家族3人だけでは出来ません。漁村の高齢化による担い手不足が叫ばれる中、稲童だけではなく、蓑島も含めて助け合いながら漁に出ています。助け合い、支え合い、人との繋がりを大切にし、生業を護っていくことの重要さを彼女から学びました。
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