◆過酷な仕事、だからこそ親父を助けたい
蓑島で漁業に従事する、森林徹(とおる)さん。主に、牡蠣の生産や販売を担っています。三代目の徹さんは、幼い頃から父である保治(やすじ)さんと海に出たり、漁業の手伝いをしたりしていました。その頃から、将来は自分もこの仕事に就きたいと考えていたそうです。
しかし、徹さんが進路を決める際、父の保治さんは自身の仕事が過酷であることを理由に、漁業に就くことを反対しました。父の反対もあり、徹さんは製造業でサラリーマンとして働くことを選択しました。
結婚をし、新しい家族ができた徹さんでしたが、父親となって改めて強く思うことがありました。「漁業は過酷な職業。過酷であるがゆえに、自分が親父を助けたい」。
それから28歳の頃、保治さんを説得し、漁業の道に進みました。
海の仕事をひとつずつ説明しようとしても、天候や潮の状況が日々変わるため、毎日同じというわけにはいきません。とにかく父親や仲間の姿を見て学ぶところから始まりました。見て、学んで、実践する。失敗や改善点は親子でとことん話す。これが“森林流”です。
牡蠣のシーズン真最中は、毎朝3時~4時に起床。それから出港までの間、地元JAへの出荷準備や全国へ発送の準備、牡蠣を入れる水槽の掃除を毎日行います。そして、6時には港を出発し、牡蠣いかだへ。そこから、約1年かけて育てた牡蠣を引き上げていきます。引き上げた牡蠣は、船上で塊を叩いて切り離します。そして、身の入ったものと入っていないものをここで仕分けします。気が遠くなるほどの作業。この作業を船上で3時間以上続けます。
徹さんは一足先に港へ戻り、牡蠣小屋の開店準備や販売の準備に取り掛かります。牡蠣小屋の営業と販売、隙間時間に牡蠣の研磨作業を行い、ゆっくり休憩する間もなく、閉店時間まで働きます。次の日に備え、毎晩21時には就寝。冬場の早朝から水を扱う作業。想像しただけで身震いしてしまいます。毎日休みなく、このルーティンが続きます。「自然との戦いが最も過酷だと感じています。日々の漁も天候に左右されます。台風が来れば牡蠣いかだが破壊され、その年の営業の危機にも迫ります。親父が反対した理由も理解できました。しかし、だからこそ共に頑張りたい、乗り越えたいと実感しています。」とお話ししてくれました。
糸島でも広島でもなく、「蓑島の牡蠣は甘い!」と蓑島を目指して遠方から訪れてくれるお客様。「やっぱり地元の牡蠣が一番。」と市内からのお客様。蓑島の牡蠣の味を誉められたときや、お客様が喜ぶ顔を見たときに最もやりがいを感じるそうです。そんな徹さんにとっての最高の褒め言葉は、「また来るけ!」。この言葉があってこそ、より良いものを届けたいという意欲が湧いてくると言います。
また、牡蠣の研磨作業等、熟練作業員の高齢化による人手不足が深刻となっている漁村の現状――。
「牡蠣の研磨作業は単純なようで、熟練の技が必要。スピードが全く違います。この担い手不足は、本当に深刻だと仲間と話しています。自分たちが受け継いだものを、さらに引き継いでいくために、様々な角度から試行錯誤していく必要があると考えています。長年共に作業してくれている方々に、本当に感謝しています。」と、漁村の仕事を支えてくれている方々への感謝の気持ちが、そこにはありました。
「牡蠣小屋で食べる焼き牡蠣のほか、保治さん考案の佃煮や徹さん考案のオイル漬けもおすすめ!」
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