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ゆくはし今昔物語

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福岡県行橋市

市制70周年を迎えた行橋市。山や海に囲まれ、京築地域の中核として人が行き交い、歴史と文化が育まれてきました。昔懐かしい行橋の風景や町なみの、「今」と「昔」をご覧ください。

◆Vol.020 正八幡宮(しょうはちまんぐう)
行橋駅の南、神田町(じんでんまち)に所在する正八幡宮は、願いをみちびく「勝運の神」を祀る行橋市民には馴染みの深い神社の1つです。春は神幸祭、夏は夏越祭(なごしまつり)、秋は新嘗祭(にいなめさい)、そして冬は除夜祭、歳旦祭、節分祭など、境内で執り行われる祭礼により、移ろう季節や古式ゆかしい日本の文化を感じることができます。
諸説ありますが、平安時代前期の貞観(じょうがん)元年(859)の創建とされます。宇佐神を京都の男山(石清水(いわしみず)八幡宮)へと勧請した際、御旅所(おたびしょ)とした草野の地に宇佐八幡三神を勧請し、社殿を建立、草野、行事、長音寺、大橋、宮市、古辺野(こべの)の6村の産土神(うぶすながみ)(生まれた土地や現在居住している土地の守護神)として祀ったことが始まりです。これが、現在の行事7丁目にある正八幡神社(正ノ宮)のことで、神田町の正八幡宮は、江戸時代のはじめに正八幡神社を分社したものになります。

◇1938年/昭和13年 正八幡宮の旧社殿
寛永年中(1624~44)に大橋、宮市、小部野の3村の産土神として、大橋村の字神田(あざじんでん)に正八幡神社より分社されました。かつての夏越祭では、曳山(ひきやま)や舁山(かきやま)などが巡行し、山車の周囲ではお囃子が練り歩き、大変賑っていたことが市の文化財に指定されている『国作手永大庄屋御用日記』にも記録されています。明治維新後は地域を代表する郷社として、広く崇敬されました。

・(本紙写真)旧社殿の様子を今に伝える貴重な古写真。現在の社殿が銅板葺きであるのと異なり、瓦葺きであることが分かる。また拝殿の左右に現在はない回廊が取りついていた。

◇2024年/令和6年 令和の正八幡宮
現在の社殿は、昭和16年(1941)に改築されたものです。市街地中心部に鎮座することもあり、冒頭に述べた祭礼以外でも、お宮参りや七五三のお参りなどで、一年を通して賑わいをみせています。特に、平成11年(1999)から始まった行橋~別府100キロウォークでは、多くのウォーカーが受付とあわせて完歩と道中の安全を祈願するため、正八幡宮へと参詣します。すっかり行橋の清秋の風物詩として定着しました。

・(本紙写真)右奥の大木はご神木のクスノキ。近年は5月頃よりアオバズクのつがいが巣作りをし、産卵。7月にヒナが巣立った後、南方へと旅立つ8月下旬頃まで境内で過ごす。

令和の現在、初詣では福岡県特有の三社参り(太宰府天満宮・筥崎宮・宮地嶽神社)文化もありますが、ずっと昔は地元の産土神にお参りをし、日々の感謝をささげ、今年一年を健やかに過ごせるよう祈願するのが一般的でした。温故知新ではありませんが、古き良き慣習は大切にし、将来へと繋いでいければと願っています。

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