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男女共同参画

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福岡県赤村

8月26日、今年度3回目の「男女共同参画のむらづくり審議会」による定例審議会が開催されました。
年間の活動内容と広報紙への掲載記事を協議し、今後も定期的な広報活動を通じて周知を図ることが確認されました。
次回審議会会議は令和7年1月27日(月)に開催されます。

◆戦後の男女平等、女性や子どもの人権確立に尽力
-三淵嘉子(みぶちよしこ)さんの生涯をたどる-
2024年4月にスタートしたNHKの“朝ドラ”こと連続テレビ小説『虎に翼』。
日本初の女性弁護士、三淵嘉子さんの実話に基づくオリジナルストーリーが描かれ、大きな話題を呼びました。

▼弁護士法が改正。女性初の弁護士に
主人公のモデルとなった三淵さんは、1914年11月に父・貞雄(さだお)さんの赴任先であるシンガポールで生まれ、のちに東京に転居しました。それまで、女性が弁護士になることは認められていなかったが、1933年5月の弁護士法改正によって、弁護士資格について「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」へと規定が改められました。女性が弁護士となる門戸は開かれた一方で、裁判官と検察官にはなれませんでした。
女性が法律を学べる学科があった現・明治大学に進学した三淵さんは1941年に、今の司法試験にあたる高等文官試験司法科に合格し、女性初の弁護士となりました。

▼男女雇用機会均等法にも貢献した三淵さん
三淵さんは裁判官を退官したのちに、労働省(現・厚生労働省)の男女平等問題専門家会議の座長を務めました。若いころから男女差別について疑問を持ち、自身もたくさんの差別を受け、そのハードル一つひとつを乗り越えてきた三淵さんはまさに適任でした。会議で三淵さんがまとめた「雇用における男女平等の判断基準の考え方について」という報告書は、こののちの1985年制定、1986年に施行された「男女雇用機会均等法」に大いに生かされました。
戦後の激動の時代を生き抜き、69年の生涯を閉じるまで三淵さんは男女平等の社会を願い、性別による差別に異議を唱え続けました。その考え方やその姿勢は、昭和から平成を経て令和になった今も多くの女性に共感を与え続けています。

▼日本国憲法が施行。女性初の家庭裁判所所長に
戦後、男女平等を保障した日本国憲法が施行されると、男女平等の社会の実現を望んだ三淵さんは、1947年に当時は男性のみだった裁判官に志願しました。採用は許されなかったが、裁判官の仕事を学ぶため司法省に入り、民法改正と家庭裁判所設立に携わりました。
その後1949年にようやく日本初の女性裁判官(東京地裁判事補)に、1952年には名古屋地方裁判所で日本初の女性判事となり、1972年に新潟家庭裁判所所長に就任。女性として初の裁判所所長となりました。

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