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写真が語る「いわき」の歴史

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福島県いわき市

■馬が活躍した最後の時代
昭和30年代の高度経済成長期まで、農家では馬はなくてはならない労働力でしたが、農作業に農機械が導入されるようになると、馬の「出番」は急速に減少していきます。
農家で馬を見ることがなくなったと思われていたとき、仁井田川河口付近で砂利車を引く「一馬力ダンプ」が、風物詩として話題になりました。
一帯は砂が堆積しやすく、河口の流れが塞がれ水害の一因となっていたのです。同所は県立自然公園の指定地域であったことから、無制限に掘ることはできず、このため、解決策の一つとして、昭和43(1968)年頃から計画的に堆積した砂を掘って運んだのです。建設原材料の砂を確保できる、という一石二鳥の利点もありました。
輸送に際しては、近所の農家の人たちで構成する四倉馬車組合が所有する馬20頭余、荷車を使いました。砂利採取量が限られたため、稼動時間は毎朝3時間ほど。トラック輸送できる集積所までの距離はわずか2百メートル前後ですが、3〜4往復が精一杯でした。荷車にラグタイヤを装着したとしてもタイヤは砂に深く食い込み、馬の鼻息は自然と荒くなり、冬ともなると吐く息も白くなります。
馬運搬による砂利採取は、平成6(1994)年8月が最後でした。セメント瓦を製造する四倉町の工場がピーク時の30軒弱から2軒にまで減少し、需要も少なくなったからです。最後には三頭の馬が役目を果たしました。
(いわき地域学會 小宅幸一)

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