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写真が語る「いわき」の歴史

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福島県いわき市

■駅前広場になるはずだった公園
いわき駅前の幅員30メートル通りを真っ直ぐ南に向かうと、道路の両側には「小太郎公園」が見えてきます。
この公園ができたのは、昭和20(1945)年7月の平空襲によって平(現・いわき)駅前から南方へ細長く焼かれてしまったことに由来します。
平市は戦後、国の支援で戦災復興都市計画を策定。本町通りの国道6号を南方へ移設することや焼け出された駅前の家屋群を撤去して駅前通りを設けるという、これまでの城下町特有の道路体系を変える抜本的な改造計画でした。さらに、新しい平駅を小太郎町付近に移転する計画も盛り込まれました。
しかし、昭和24(1949)年6月、急激なインフレを抑え、緊縮財政による財政健全化を図るため、駅の移転計画は中止となってしまいます。
鉄道ルートは道路(美術館と文化センターの間の通り)へ、駅前広場は公園として転用することになりました。その後、駅前通りは小名浜へ通じる道路に計画変更されていきますが、昭和30年代初めまでの間、この付近で行き止まりになっていて、平和博覧会や臨時動物園、サーカスなどのイベント地として活用されていました。
公園の広さは東西の公園を合わせても0・5ヘクタール。他の多くの都市公園と比べてもさほど大きくはありません。それはかつての計画だった「駅前広場にしては」という条件を付しての印象です。さて、この区画が駅前広場になるはずだった、という歴史を知る人はどの程度いるでしょうか。
(いわき地域学會 小宅幸一)

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