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写真が語る「いわき」の歴史

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福島県いわき市

■築港に尽力した小野晋平
小名浜港は日本鉄道磐城線(現・常磐線)が開通した後、一時衰退したのですが、大正時代に入ると、鉄道運賃が値上がりして船賃との差がなくなり、また、船舶の大型化により安定輸送が確保できるようになって、海送は陸送に対抗できるようになっていきます。
小名浜では内務省の「重要港湾の選定、施設の方針」に向けた運動を展開し、明治44(1911)年に「小名浜築港期成同盟会」が結成されて以降、大正時代後期からは県議会議員の小野晋平などの政財界が湯本〜小名浜の鉄道敷設を目指す磐城炭礦(株)と連携して港湾整備の働きかけを行いました。
この運動が功を奏し、小名浜港は昭和2(1927)年、第二種重要港湾の指定を受け、国の直轄事業として、昭和4(1929)年度からの事業開始が決りました。
しかし、内閣が入れ替わり、予算は大幅削減。この措置に危機感を抱いた小名浜町の関係者・市民は、県知事から本省への陳情を示唆(しさ)され、町民大会でその報告をしたところ、予算権を持つ内務省への直接陳情を行うことになりました。
小野晋平が責任者となった陳情代表団217人は分散して上京。昭和4年7月、代々木ケ原に、白たすきに白鉢巻の姿で集結しました。途中、警視庁警察特攻隊に見とがめられ、一触即発の場面もありましたが、内務大臣などに直接陳情することができました。
結果として修築予算は若干の減額にとどまり、復活。修築工事は昭和4年度から支障なく進められ、昭和13(1938)年度に3千トン岸壁が完成しました。
小名浜港の整備を巡る運動は、官民を挙げての、文字どおり地域ぐるみの運動として名を残しています。
(いわき地域学会 小宅幸一)

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