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写真が語る「いわき」の歴史

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福島県いわき市

■模擬原爆が落とされた学校
昭和20(1945)年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされる前、アメリカ軍は模擬原爆をもって原爆投下の訓練を繰り返し、その数は18都府県で49発に及んでいました。アメリカ軍の報告では、3発がいわき地方に落とされたと記録されています。
米国戦略爆撃調査団(USSBS)文書の「損害評価報告書」には「4棟の兵舎のような建物を破壊した」と報告されています。原爆投下部隊の空撮写真に付された平第一国民学校(平第一小学校)を囲んだ丸印の赤い破線の脇に表記された「Barracks Area Taira」(平の兵舎地域)の文字に情報の不確実性が見えます。
どうして誤認したのかは明らかでありません。当日は新潟県長岡市の工場に対し、4機に命令が出されましたが、雲がかかってどの機も投弾できず、帰り際に臨機で目標を攻撃したものと考えられます。その一つが平第一国民学校(平第一小学校)でした。つまり、帰途に行った〝演習〞のようなものだったのでしょうか。
残る1か所は、高久村(たかくむら)大字下高久(しもたかく)字小鍛治(こかじ)の新堤溜池付近に落とされていたことが判明しましたが、もう1発は確認できていません(記録では平鯨岡付近)。
模擬原爆が落とされた平第一国民学校(平第一小学校)は、PTAや関係者に働きかけ、亡くなった校長や教師の殉職碑を、昭和30(1955)年7月に建てました。除幕式は被災日に行われ、以後、鎮魂祭が今日に至るまで継続されています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

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