■傷だらけの弁天島
波立海岸を仔細(しさい)にみると、研磨された細かい玉砂利を敷きつめたような浜となっています。この玉砂利は波立海岸や弁天島を構成する礫岩層(れきがんそう)の礫と同種であることから、波や風雨の力で崩され砕かれて海岸に敷き詰められたものと考えられます。
砂浜が尽きたあたりから一転して、磯浜へ変化します。海中からはそそり立つ岩礁が見えます。弁天島や鰐ケ淵(わにがふち)などと名付けられ、岩に押し寄せる波はしぶきを高く上げています。
波立・弁天島は崩れやすい砂岩層から成り、高さ17メートル前後の島状になっていて、樹木が見えていました。
しかし、歳月の経過とともに島の浸食が問題となっていきます。島の中央には南側上部から北側下部にかけて垂直に断層が走り、そのまま放置しておくと、縦にさけ落ちてしまうことが危惧されました。このため、中央部分の断層をクギ付けするため、岩盤相互に大小22本のパイプを打ち込んでつなぐ工法を取り入れ、さらに島全体へコンクリート肉付けする補強工事が、昭和52(1977)年と同59年に施工されました。
平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災の発生時にも津波や地震の被害を受け、復旧工事が施されました。
このように多くの努力のうえに成り立っている、波立・弁天島。このことを忘れずに美しい景観を楽しみたいものです。
(いわき地域学會 小宅幸一)
※写真は本紙またはPDF版に掲載されています。
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