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写真が語る「いわき」の歴史

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福島県いわき市

■ニュータウンという新しい街
ニュータウンとは、新しい町というイメージで捉えられがちですが、国土交通省では任意で「計画戸数千戸以上または計画人口3千人以上の増加を計画した事業で、地区面積16ha以上のもの」などの要件で定義しており、本市では15区域をニュータウンとしてリストアップしています。
いわき地方の官民一体となったニュータウンづくり構想は、昭和30年代後期から持ち上がりました。石炭産業の斜陽化という状況をふまえ、新しい産業の拠点となる工業団地の整備とこれに見合った快適な環境のニュータウンづくり、という側面を持っていました。
その場所は、平と小名浜を結ぶ県道いわき―小野線(鹿島街道。現主要地方道小名浜―平線)の沿線で、建設前は、旧鹿島村(かしまむら)や旧高久村(たかくむら)などに農業用水を供給する役割を持つ丘陵状の林地帯で、地理的にみていわき地方の中心に位置していました。当初は単なるベッド・タウンとは異なり、行政・経済などの新しい中心市街、ブラジルの新しい首都・ブラジリアのようなニュータウンを構想していました。
昭和41(1966)年10月に14市町村が合併していわき市が誕生して以降、計画は本格的に練り上げられ、「いわきニュータウン基本計画」(総面積530ha)が策定されたのは、昭和47(1972)年7月のこと。事業は地域振興整備公団(独立行政法人都市再生機構…UR都市機構)事業として採択され、昭和54(1979)年3月に起工式が行われました。
住宅団地の分譲は昭和57(1982)年9月から開始され、以降中央台飯野、中央台鹿島、中央台高久と順調に毎年分譲され、現在、約5千世帯、約1万2千人が居住しています。
(いわき地域学會 小宅幸一)

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