■変わらぬ、瞳を。
フラガールの学び舎である「常磐音楽舞踊学院」は、今年で創立60年を迎えました。日本で最初のフラダンス、ポリネシアン民族舞踊学校として、これまで428名のフラガールを生み出してきました。
「フラシティいわき」を掲げる本市にとって、その象徴ともいえるフラガール。炭鉱と家族を救うために立ち上がった第1期生フラガールの精神は、半世紀以上が経った今もなお、脈々と受け継がれています。
映画「フラガール」から18年。本特集では、さまざまな苦難を乗り越え、進化を続ける彼女たちの今を伝えるとともに、いわきが持つ誇り高きフラ文化の魅力をお届けします。
幕末の安政3(1856)年、みろく沢(内郷)で発見された石炭層。その翌年から採掘が始まり、常磐炭田は、本州最大の炭田として、明治・大正・昭和中期にかけて国のエネルギー需要を賄う基幹産業へ発展し、日本の近代化と戦後復興を支えてきました。しかし、昭和30年代になるとエネルギー革命によって石炭から石油へと移行し、石炭産業の斜陽化とともに、炭鉱の閉山が相次ぎました。この窮地を救うため、石炭を掘るたびに湧き出てくる温泉を活用した日本初のテーマパーク「常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)」が昭和41(1966)年に誕生。この年は、5市4町5村が合併して「いわき市」が誕生した年と同じでもあります。
炭鉱から観光へ、社運を懸けた一大プロジェクト。その目玉となったのが炭鉱の少女たちによる「ポリネシアンショー」。そのダンサーを養成するための学校として昭和40(1965)年に設立されたのが「常磐音楽舞踊学院」です。
国のため、いわきのため、家族のため、さまざまな苦難を乗り越えてきた先人たち。その思いを受け継ぎ、フラガールたちは今日も舞台に立っています。
◇常磐音楽舞踊学院の歩み
昭和19年 常磐炭礦株式会社設立
昭和39年 常磐湯本温泉観光株式会社設立
昭和40年 常磐音楽舞踊学院設立
昭和41年 常磐ハワイアンセンターオープン
昭和42年 女子音楽科を新設
昭和43年 学校教育法に基づく各種学校として福島県知事の認可を受ける
昭和46年 NHK紅白歌合戦に出演
昭和51年 常磐炭礦、全面閉山
平成2年 スパリゾートハワイアンズへ名称変更
平成18年 映画「フラガール」公開
平成23年
・東日本大震災により休館
・「フラガール全国きずなキャラバン」スタート
平成24年 全館営業再開令和元年「フラガール全国きずなキャラバン2019」スタート
令和3年
・「フラガール全国きずなキャラバン2021」スタート
・映画「フラ・フラダンス」公開
令和6年
・創立60周年
・「フラガールきずなスクール2024」スタート
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