■炭鉱から工業団地へ
工業団地造成の動機としては、大都市に集中する工場群が公害や過密の問題を解決するとともに分散化を図り、かつ郊外化によって安価な広い土地を求めて移転したものなどが挙げられ、市内には15カ所の工業団地が配置されています。
いわき地方(→いわき市)における団地造成の契機となったのは、昭和30年代後期にいずれも地域指定となった「新産業都市建設促進法」と「産炭地域振興臨時措置法」でした。
後者は石炭産業の衰退や炭鉱閉山による地域疲弊からの脱却策として炭鉱跡地やその周辺地域を選び、工業団地を造成して地域振興を図ろうとするものでした。
炭鉱跡地を工業団地化する最初となったのは、大日本炭礦(こう)勿来礦(こう)跡の一部において昭和44(1969)年に成った勿来工業団地の分譲で、次いで昭和46(1971)年に閉山となった常磐炭礦(こう)鹿島礦(こう)跡地が対象となりました。それまでの団地造成は面積10〜30haでしたが「常磐鹿島工業団地」は炭鉱跡と周辺地域を購入した、面積101・9haの本格的な工業団地でした。
同団地では昭和47(1972)年9月から分譲が開始され、地元雇用の大きな受け入れ先となりました。立地企業は約40社に及んでいます。
(いわき地域学會 小宅幸一)
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